中間子論

概要
原子核をまとめる力を、未知の粒子のやり取りで説明した。予言された粒子は12年後に見つかる。日本人として最初のノーベル賞になる。
場所
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
関わった人(1)
湯川秀樹AD1907年1月23日–AD1981年9月8日 · 提唱本文
1932年、イギリスのチャドウィックが中性子を見つけ、原子核が正の電気を持つ陽子と、電気を持たない中性子からできていることが分かった。ここで大きな謎が生まれる。陽子どうしは同じ正の電気を帯びているので、互いに強く反発するはずだ。それなのに、原子核は直径が1兆分の1センチほどという狭い場所に陽子を詰め込んだまま、ばらばらにならない。重力は弱すぎて話にならない。電気の反発に打ち勝って陽子と中性子を結びつける、強くて、しかもごく近くでしか働かない別の力があるはずだった。ヴェルナー・ハイゼンベルクらがこの力を説明しようと試みたが、うまくいかなかった。
湯川秀樹は1907年に東京で生まれ、地質学者の父の転勤で京都で育った。京都帝国大学で物理を学び、同級生には、のちに同じくノーベル賞を受ける朝永振一郎がいた。卒業後は大学に残って無給の助手として研究を続け、1932年に結婚して湯川家の養子となり、翌年から大阪帝国大学の講師を兼ねた。当時の日本の物理学は、ヨーロッパで生まれたばかりの量子力学を追いかける立場にあった。湯川は原子核の力の問題に取り組み、なかなか論文を書けずに悩んでいたという。

湯川が考えたのは、力を「粒子のやり取り」として表すことだった。電気の力は、光の粒である光子を電気を持つ粒子どうしがやり取りすることで伝わる、と当時の理論は説明していた。光子には質量が無いので、電気の力は遠くまで届く。それならば、核の力も何かの粒子のやり取りで伝わり、その粒子に質量があれば、力はごく短い距離でしか働かないはずだ。力の届く距離から逆算すると、その粒子の質量は電子のおよそ200倍になる。電子より重く、陽子より軽い。のちにこの粒子は「中間子」と呼ばれるようになる。1934年の秋、ある晩に寝床で考えているうちにこの発想に至った、と湯川は後に回想している。
湯川はこの考えを1934年11月に学会で発表し、翌1935年に日本の学会誌に英語の論文として載せた。だが、反応は乏しかった。そんな未知の粒子は誰も見たことがなかったし、日本の若い研究者の論文は、欧米ではあまり読まれなかった。
1937年、アメリカのアンダーソンらが、宇宙から降り注ぐ放射線(宇宙線)の中に、電子の200倍ほどの質量の粒子を見つけた。湯川の予言した粒子が見つかった、と世界の物理学者は色めき立ち、湯川の名は一気に知られるようになった。ところが調べを進めると、この粒子は原子核とほとんど反応しない。核の力を伝える粒子なら、核と強く反応するはずである。性質が合わなかった。1940年代、湯川の共同研究者だった坂田昌一らは、宇宙線の中には二種類の中間子があり、湯川の中間子は別の粒子に変わって地上に届くのではないかと考えた。のちにこの見方が正しかったことが分かる。1937年に見つかった粒子は、いまミュー粒子と呼ばれ、中間子ではなく電子の仲間である。
1947年、イギリスのブリストル大学のパウエルらが、高い山の上に写真の乾板を置いて宇宙線の通った跡を記録し、その中に、もっと重く、ミュー粒子に変わって消える粒子を見つけた。これがパイ中間子で、湯川の予言した性質を備えていた。予言から12年後のことである。翌年には、アメリカの加速器でもパイ中間子が人工的に作り出された。

1949年、湯川はノーベル物理学賞を受けた。日本人として初めてのノーベル賞だった。日本はまだ連合国の占領下にあり、戦争の傷跡が街に残り、食べるものにも事欠く時代だった。同じ年には水泳の古橋広之進が世界記録を次々に塗り替えており、敗戦に打ちひしがれた人々にとって、湯川の受賞は大きな誇りと希望になった。湯川は前年からアメリカのプリンストン高等研究所に招かれ、そのころはニューヨークのコロンビア大学で教えていた。
その後の物理学で、核の力のより深い仕組みは、陽子や中性子の中にあるクォークと、それを結びつけるグルーオンで説明されるようになった。それでも、陽子と中性子が中間子をやり取りして結びつくという湯川の描き方は、原子核を扱うときの基本の考え方として今も使われている。力を粒子のやり取りとして考える発想は、素粒子物理学の土台の一つになった。
湯川は晩年、核兵器の廃絶を訴える運動に力を注いだ。1955年にはアインシュタインやラッセルらとともに、核戦争の危険を訴える宣言に名を連ねた(ラッセル=アインシュタイン宣言)。原子核の力を解き明かした物理学が、その力を兵器として解き放ってしまった時代に、物理学者としての責任を考え続けたのである。1981年、京都で亡くなった。