概要
1798年、江戸の下谷の神社の境内で、櫛職人だった三笑亭可楽が、木戸銭を取って客を集め、噺を聞かせた。職業として毎日のように噺を聞かせる寄席は、ここから始まったとされる。それまでも、道端や大名の座敷で笑い話をする人はいたが、町の人が少しの銭で毎晩通える場所ができたのである。19世紀の初めには、江戸の町に百を超える寄席ができ、落語のほか講談や手品や音曲が演じられた。天保の改革で一時は十数軒に減らされたが、すぐに息を吹き返した。
場所
江戸
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
本文
人を集めて笑い話を聞かせる芸は、17世紀の終わりに、京、大坂、江戸でほぼ同じころに現れた。京の露の五郎兵衛、大坂の米沢彦八、江戸の鹿野武左衛門が、落語の祖とされる。彼らは神社の境内や道端に立ち、あるいは座敷に呼ばれて噺をした。
1798年6月、大坂から来た噺家の興行が江戸で評判になったのに刺激されて、櫛職人の京屋又五郎が、下谷の神社の境内で、木戸銭を取って噺の会を開いた。のちの三笑亭可楽である。はじめは客が入らず、いったん職人に戻ったが、修行をし直して再び挑み、人気を得た。客から三つの題をもらって、その場で一つの噺にまとめる「三題噺」を得意とした。
可楽のあと、江戸の町には、夜ごとに噺や講談を聞かせる常設の小屋、寄席が増えていった。19世紀の初めには百を超え、町内ごとにあると言われるほどになる。木戸銭は安く、仕事帰りの職人や商人が気軽に通えた。芝居小屋が一日がかりで高くついたのに比べ、寄席は町人の毎晩の楽しみだった。
1841年からの天保の改革で、寄席は贅沢で風紀を乱すとして、15軒にまで減らされた。しかし改革が終わるとすぐに数を戻した。明治に入ると三遊亭円朝が現れ、その噺を速記した本が、話し言葉で書く文章の手本にもなった(言文一致)。