概要
1960年、エジプトがナイル川にアスワン・ハイ・ダムを造ることになり、ヌビアのアブ・シンベル神殿などの古代の遺跡が湖の底に沈むことになった。ユネスコは世界に呼びかけ、50を超える国の資金と技術で、神殿を切り分けて高台へ移した。人類の宝は、一つの国だけでなく、世界が共に守るべきだという考えが、ここで形になった。1972年11月16日、ユネスコの総会は、文化の遺産と自然の遺産を一つの条約で守る世界遺産条約を採択した。1978年に最初の12件が登録された。日本は1992年に条約を結び、翌年、法隆寺、姫路城、屋久島、白神山地が登録された。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
本文
1959年、エジプトはナイル川の上流に、巨大なアスワン・ハイ・ダムを造ることを決めた(アスワン・ハイ・ダム)。ダムができると、上流のヌビアの谷は長さ500キロの湖の底に沈む。そこには、ラムセス2世が岩山を掘って造らせたアブ・シンベル神殿をはじめ、古代の神殿と遺跡が数多く残っていた。
1960年、ユネスコは、ヌビアの遺跡を救うよう世界に呼びかけた。50を超える国が資金と技術を出し、20年にわたる大事業が始まった。アブ・シンベル神殿は、千を超える塊に切り分けられ、60メートルあまり高い場所に、もとと同じ向きで組み立て直された。年に二度、朝日が神殿の奥の神々の像を照らす仕組みも保たれた。神殿を救われたエジプトは、お礼として、協力した国々に小さな神殿を贈った。そのうちの一つ、デンドゥール神殿は、いまニューヨークのメトロポリタン美術館にある。
この経験から、人類にとって特別な価値を持つ遺産は、それがある国だけのものではなく、世界の人々が共に守るべきものだという考えが広がった。ユネスコは文化の遺産を守る条約の準備を進め、一方でアメリカは、国立公園の考えを世界に広げ、自然の遺産を守る仕組みを提案していた。二つの流れは一つにまとめられた。
1972年11月16日、パリのユネスコの総会で、世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約が採択された。条約は1975年に発効し、各国が推薦した遺産の中から、委員会が「顕著な普遍的価値」を持つものを世界遺産の一覧に載せ、守るための技術や資金を助けることになった。危機にさらされた遺産は別の一覧に載せ、国際的な支援を呼びかける。
1978年、最初の12件が登録された。ガラパゴス諸島、イエローストーン国立公園、ドイツのアーヘン大聖堂、ポーランドのクラクフの歴史地区、エチオピアのラリベラの岩窟教会群、セネガルのゴレ島などである。日本は1992年に条約を結び、1993年、法隆寺地域の仏教建造物、姫路城、屋久島、白神山地が日本で初めて登録された(姫路城の天守)。登録はやがて千件を超え、観光の客を集める力になる一方で、観光客が押し寄せることによる傷みや、開発との衝突も起きている。2009年には、橋の建設をめぐってドイツのドレスデンのエルベ渓谷が、一覧から外された。