概要
スイス生まれの建築家ル・コルビュジエは、家は住むための機械であると唱え、緑地の中に高層の住宅を建てる都市を構想していた。第二次世界大戦のあと、住まいを失った人々のために、フランス政府は彼にマルセイユの集合住宅を任せた。1952年10月14日に完成したユニテ・ダビタシオンは、柱で持ち上げた高さ56メートルの建物に、337の住戸と、商店の並ぶ中の通り、屋上の幼稚園やプールを収めた、一つの町のような建物だった。打ち放しのコンクリートの荒々しい表情は、のちの建築に大きな影響を与え、戦後の世界の大規模な団地の手本にもなった。
場所
43.30°N 5.37°E · フランス
本文
ル・コルビュジエ、本名シャルル=エドゥアール・ジャンヌレは、1887年にスイスの時計の町に生まれ、パリで建築家として活動した。1920年代、彼は、鉄筋コンクリートで可能になった新しい建築の原則として、建物を柱で持ち上げる、屋上を庭にする、間取りを自由にする、窓を横に長く連ねる、正面を自由にする、という「近代建築の五原則」を唱えた。「家は住むための機械である」という言葉は、そのころの著書の一節である。
ル・コルビュジエは、建物だけでなく都市の作り方も変えようとした。1925年には、パリの中心部の古い町並みを取り壊して、十字形の超高層の建物を緑地の中に並べる大胆な案を発表した。1933年、彼が中心になった近代建築国際会議は、住む、働く、憩う、移動するという都市の機能を分けて計画すべきだとする「アテネ憲章」をまとめた。こうした考えは、戦後の世界の都市計画に大きな影響を与えた。
第二次世界大戦で、フランスでは多くの住宅が破壊された。1945年、復興を担う大臣は、ル・コルビュジエに、港町マルセイユに集合住宅を設計するよう依頼した。彼は、それまで温めてきた、一つの建物の中に一つの共同体を収める「住む単位」、すなわちユニテ・ダビタシオンの考えを実現させた。
1952年10月14日に完成したユニテは、太い柱で地面から持ち上げられた、長さ135メートル、高さ56メートルの建物だった。中には337の住戸が収められ、およそ1600人が暮らせた。住戸の多くは二階建てで、細長い住戸が互いに組み合わされ、どの住戸も東と西の両側に窓を持った。建物の中ほどの階には、商店やホテルの並ぶ「中の通り」が設けられ、屋上には、幼稚園、体育館、浅いプール、走るための道があった。建物の寸法は、人の体の寸法から割り出した独自の尺度で決められていた。
型枠の木目をそのまま残した打ち放しのコンクリートの荒々しい表情は、のちに「ブルータリズム」と呼ばれる建築の流れを生んだ。ユニテは、ベルリンなど各地にも建てられ、戦後の世界の大規模な集合住宅の手本になった。だが、緑地の中に高層の住宅を並べ、用途を分ける都市計画は、のちに、町の活気を奪い、孤立した団地を生んだとして批判されるようになる(ジェイコブズ『アメリカ大都市の死と生』、プルーイット=アイゴーの爆破)。マルセイユのユニテはいまも人が住み続け、2016年に世界遺産に登録された。