概要
1952年、パリのサンタンヌ病院の精神科医ジャン・ドレーとピエール・ドニケールは、手術の麻酔を助ける薬として作られたクロルプロマジンを、激しい興奮や幻覚に苦しむ患者に与え、症状が大きく静まるのを見た。それまで、精神の病の治療は、拘束、電気ショック、脳の一部を切る手術くらいしかなかった。薬は数年で世界に広まり、大きな精神病院の中の空気を変えた。患者が病院から地域へ戻る道が開けたが、アメリカなどでは病院の閉鎖が先に進み、行き場を失った人々が街にあふれる問題も生んだ。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
本文
20世紀の半ば、重い精神の病を抱える人の多くは、町から離れた大きな病院に、何年も、ときには一生閉じ込められていた。治療の手段は乏しかった。暴れる人は拘束衣で縛られ、冷たい水の風呂に入れられた。インスリンで昏睡を起こす療法、電気けいれん療法、脳の前の部分の神経を切るロボトミーが行われた。ロボトミーを考え出した医師は、1949年にノーベル賞を受けている。
フランスの製薬会社ローヌ・プーランは、アレルギーの薬の仲間を研究していた。その一つ、クロルプロマジンを、軍の外科医アンリ・ラボリは、手術の前に患者を落ち着かせる薬として使い、患者が周りに無関心なほど穏やかになることに気づいた。精神の病に効くかもしれない、と彼は考えた。
1952年、パリのサンタンヌ病院の精神科医ジャン・ドレーとピエール・ドニケールは、激しい興奮や幻覚や妄想に苦しむ患者に、この薬を毎日与えた。何年も鎮まらなかった患者が落ち着き、話ができるようになった。病棟から叫び声が減り、拘束の道具が使われなくなっていった。薬は数年のうちに世界に広まる。
薬で症状を抑えられるようになると、患者を病院の外で暮らさせる考えが力を得た。アメリカでは、1955年に55万人を超えていた州立の精神病院の入院患者が、その後の数十年で大きく減った。ただし、地域で患者を支える仕組みは追いつかず、病院を出された人の多くが、行き場を失って路上や刑務所に行き着いた。薬には、体がこわばり、勝手に口や手が動く副作用もあった。それでも、脳の中の化学物質に働きかけて心の病を治すという考えは、ここから始まり、のちの抗うつ薬や抗不安薬につながっていく。一方の日本では、入院の患者を減らすことが遅れ、いまも精神科の病床の数が世界で最も多い国の一つである。