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Event / できごと

延安整風

Yan'an Rectification Movement
AD1942年2月
重要度 4

概要

延安の洞窟の街で、毛沢東が党の「作風を正す」運動を始めた。主観主義、宗派主義、党八股。学習、自己批判、告白。康生が「搶救運動」でスパイを探し、1000人以上を自白させた。王実味が処刑された。ソ連帰りの王明の派が消え、毛沢東思想が党の指導理念になった(1945年)。文革の型が、ここでできた。

場所

延安
36.59°N 109.49°E · 中国・陝西省

関わった人(1)

毛沢東AD1893年12月26日–AD1976年9月9日 · 始めた

本文

1937年から、延安。黄土高原の洞窟の街。長征の生き残りと、全国から来た学生と知識人(1938年に4万人)。抗日軍政大学、魯迅芸術学院。共産党の中に、二つの流れがあった。ソ連帰り(王明。「二十八人のボリシェヴィキ」)と、毛沢東。理論と、実践。

1941年、皖南事変(国民党が新四軍を襲った)と、日本の「三光作戦」で、根拠地が縮んだ。1941年9月、政治局の会議で、毛沢東が王明の「左傾」(1931〜34年)と「右傾」(1937〜38年)を批判した。

1942年2月1日、中央党校の開校式。「党の作風を整頓する」。2月8日、「党八股に反対する」。三つの悪い風。学風の主観主義(本の教条か、経験だけの経験主義か)、党風の宗派主義、文風の党八股(決まり文句)。「マルクス・レーニン主義の普遍的真理と中国革命の具体的実践の結合」。「実事求是」。

方法。文献22篇を読む。学習会。自分の過去を書く(自伝、「思想検査」)。批判と自己批判。他人の前で告白する。「治病救人」。

5月、文芸座談会。「文芸は誰のためか。労農兵のため」。「文芸は政治に従属する」。丁玲(「三八節に思う」、延安の男女の不平等を書いた)は自己批判した。王実味(「野百合の花」、幹部の特権と「衣分三色、食分五等」を書いた)は「トロツキスト」として1943年に逮捕され、1947年、延安からの撤退のとき、康生の指示で斬られた(1991年、名誉回復)。

1943年、康生の「搶救(救い出し)運動」。国民党のスパイを探す。「坦白」(自白)を強いる。延安の知識人の何割かが自白させられた。「疲労戦術」。自殺者。1943年末、毛沢東が行き過ぎを認めて、止めた。「一人も殺すな、大部分は捕らえるな」。康生は罰されなかった。

1945年4〜6月、第7回党大会。「毛沢東思想」が党規約に。「歴史決議」(党史を毛沢東の正しさの歴史として書き直した)。劉少奇が「毛沢東同志の思想で全党を武装する」。

延安の整風で、党は「一枚岩」になった。学習、告白、批判、自己批判、正しい路線と正しい指導者。1957年の反右派、1966年の文革は、この型で。中国以外でも、この型が真似された。

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