このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1238年ごろの版図を描いています(47勢力)。概要
バレンシアの周りの平野には、ムスリムの時代に掘られた用水路が網の目のように走っていた。1238年に町を征服したアラゴン王ハイメ一世は、水の分け方を「サラセン人の時代のとおりに」続けるよう認めた。用水路ごとに農民が選ぶ代表が集まり、水の盗みや順番の争いを裁く。いまも木曜の正午、大聖堂の使徒の扉の前に八人の代表が座り、その場で訴えを聞いて、その場で裁く。書類も弁護士もなく、言葉はバレンシア語である。判決は、それでも守られてきた。守るのは、同じ水路の下流と上流に住む隣人だからである。
場所
バレンシア
39.47°N -0.38°E · スペイン