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Event / できごと

エル・シドのバレンシア占領

El Cid takes Valencia
AD1094年6月
重要度 4

概要

カスティーリャを追われた傭兵隊長が、ムスリムの王にもキリスト教徒の王にも仕え、20か月囲んでバレンシアを取った。自分の国。ムラービト朝を退けた。5年で死に、妻ヒメナが3年守って、街は失われた。「わが主」。スペインの国民叙事詩は彼の名で。

場所

バレンシア
39.47°N -0.38°E · スペイン

関わった人(1)

エル・シドAD1043年頃–AD1099年7月10日 · 取った

本文

ロドリゴ・ディアスはカスティーリャのビバールの小貴族の子で、サンチョ2世の旗手だった。サンチョが1072年に暗殺され、弟のアルフォンソ6世が王になった。ロドリゴはアルフォンソに、兄の死に関与していないと誓わせた、という伝説がある。1081年、アルフォンソに追放された。

サラゴサのムスリムの王ムウタミンに仕えた。5年。アラゴンとバルセロナと戦った。「サイイド(主人)」とムスリムの兵が呼び、それがスペイン語で「シド」。「カンペアドール」は「戦場の勝者」。

1086年、ムラービト朝がアフリカから来て、サグラハスでアルフォンソを破った。アルフォンソはロドリゴを呼び戻し、また追放した。ロドリゴは自分のために戦った。バレンシアの東の地中海岸。

1092年、バレンシアのカーディー(裁判官)イブン・ジャッハーフが王を殺して市を取った。ロドリゴは囲んだ。20か月。飢え。1094年6月15日、バレンシアが降った。イブン・ジャッハーフは、ロドリゴが約束を破って、火あぶりにした。バレンシアは、ロドリゴのものになった。誰の家臣でもない、自分の国。カトリックの司教を置き、モスクを大聖堂にした。同じ年、ムラービト朝がクアルテで攻めて来て、ロドリゴが破った。

1099年7月、バレンシアで死んだ。妻ヒメナが3年守り、1102年、アルフォンソが救援して、守れないと判断し、市を焼いて撤退した。ロドリゴの遺体はカルデーニャ修道院へ、いまはブルゴス大聖堂。

『わがシドの歌』は1200年頃の叙事詩。追放から娘たちの結婚まで。「神よ、なんと良い臣下か、良い主君を持っていたなら」。フランコがシドを国の英雄にし、1961年にチャールトン・ヘストンが演じた。

同じ時代のできごと

ムラービト朝のガーナ攻撃AD1076年カノッサの屈辱AD1077年烏台詩案AD1079年ジャラーリー暦AD1079年後三年の役AD1083年(永保3年)トレドの陥落AD1085年ドゥームズデイ・ブックの水車AD1086年ドゥームズデイ・ブックAD1086年