← 地図で見る
Event / できごと

親鸞『教行信証』

Kyōgyōshinshō
AD1224年頃
年に諸説あり重要度 4

概要

流罪から帰った親鸞が、関東で20年、念仏の教えを書いた。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」は弟子が『歎異抄』に記した言葉。自分で「非僧非俗」と言い、妻を持ち、寺を建てなかった。死後、娘と曾孫が本願寺を作った。

場所

京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府

関わった人(1)

親鸞AD1173年5月21日–AD1263年1月16日 · 著者

本文

親鸞。 1207年、承元の法難。法然は土佐、親鸞は越後。「藤井善信」。僧籍を奪われた。 「非僧非俗」。「愚禿親鸞」。 恵信尼。 1211年、赦免。法然は翌年死んだ。 1214年、関東へ。常陸、稲田。 20年。 『教行信証』。「顕浄土真実教行証文類」。 6巻。教、行、信、証、真仏土、化身土。 経典と論と釈を引いて、自分の言葉は少ない。 「謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相」。 「往相の回向について、真実の教行信証あり」。 「信」。 「涅槃の真因は、ただ信心をもってす」。 「行」を「信」の前でなく、「信」を「行」の後に。「大行」。名号。 「他力」。「他力というは如来の本願力なり」。 「横超」。 「悪人」。『歎異抄』第3条。「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」。唯円が書いた親鸞の言葉。「しかるを世のひとつねにいはく、悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。 「自力作善の人は、ひとへに他力をたのむこころ欠けたるあひだ」。 「煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば」。 1224年、元仁元年。「立教開宗」の年、と本願寺は言う。『教行信証』に「元仁元年」の記述がある。 実際は、その後も書き続けた。晩年まで。 1235年頃、京へ。 善鸞。関東で「父から夜、秘密の教えを受けた」。1256年、義絶。 1263年1月16日、90歳。「弟子一人も持たず」。 覚信尼。大谷の廟。 覚如。本願寺。 1499年、蓮如。 東西本願寺。 『教行信証』の自筆本。「坂東本」。東本願寺。国宝。 親鸞が書き直した跡が全部見える。 「浄土真宗」は「浄土の真の宗(教え)」。法然の教えのこと、と親鸞は言った。 宗派の名になった。日本で最大の。

同じ時代のできごと

第四回十字軍AD1204年4月12日第4回十字軍のコンスタンティノープル略奪AD1204年モンゴル帝国の拡大1206年デリー・スルタン朝の成立AD1206年フランチェスコ会の認可AD1209年アルビジョア十字軍AD1209年7月22日ラス・ナバス・デ・トロサの戦いAD1212年7月16日ブーヴィーヌの戦いAD1214年7月27日