概要
戦後のアメリカの都市では、古い下町を「スラム」として取り壊し、高層の住宅と高速道路と広場を造る再開発が進められていた。ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジに住む建築雑誌の記者ジェイン・ジェイコブズは、1961年、『アメリカ大都市の死と生』を出し、専門家たちの都市計画を正面から批判した。都市の活気と安全は、住まいと店と仕事場が混じり合い、短い街区に古い建物と新しい建物が並び、通りに人の目が絶えないことから生まれる。彼女は、街を貫く高速道路の計画に反対する住民の運動を率い、計画を撤回させた。
場所
40.71°N -74.01°E · アメリカ合衆国
本文
第二次世界大戦のあと、アメリカの多くの都市では、豊かな白人の家族が郊外の一戸建てに移り住み(郊外住宅の量産)、都心の古い地区には、貧しい人々と黒人が残された。連邦政府は、荒れた古い地区を「スラム」として取り壊し、新しく作り直す都市の再開発に、巨額の補助金を出した。古い下町は更地にされ、緑地に囲まれた高層の公営住宅や、文化の施設、都心を貫く高速道路が造られた。ニューヨークでは、公園と道路と再開発を数十年にわたって取り仕切った役人ロバート・モーゼスが、絶大な権力を握っていた。
ジェイン・ジェイコブズは、1916年にペンシルヴェニア州で生まれ、大学を出ずにニューヨークで記者になった。建築の雑誌の編集者として再開発の事業を取材するうちに、専門家たちが「成功」と呼ぶ新しい団地が、実際には人のいない、荒れた場所になっていることに気づいた。一方で、彼女が家族と住むグリニッジ・ヴィレッジの古い町並みは、計画家たちから「スラム」と呼ばれながら、活気にあふれ、安全だった。
1961年、ジェイコブズは『アメリカ大都市の死と生』を出した。本は、冒頭から、当時の都市計画を正面から攻撃した。都市を生き生きとさせるのは、住まいや店や仕事場や飲食店が混じり合い、一日じゅう、違う目的の人々が通りを行き交うことである。街区は短く、曲がり角が多いほうがよい。古い建物と新しい建物が混じっていれば、家賃の安い場所に小さな店や新しい仕事が生まれる。人が十分に集まって住む密度も要る。そうした通りでは、住民や店の主の「通りの目」が自然に見張りの役を果たし、通りは安全になる。
ジェイコブズは、書くだけでなく行動した。1950年代の末、彼女は、ワシントン・スクエア公園の中に車の道を通すモーゼスの計画に反対する住民の運動に加わり、計画を阻んだ。1960年代には、マンハッタンの下町を東西に貫くロウアー・マンハッタン高速道路の計画に反対する運動を率い、抗議の集会で逮捕されながらも、1960年代の末に計画を撤回させた。この高速道路が造られていれば、いまのソーホーやリトル・イタリーの古い町並みは失われていた。
『アメリカ大都市の死と生』は、都市計画の考え方を大きく変え、古い町並みを壊さずに生かす保存と、人の暮らしの側から街を考える流れを生んだ。ジェイコブズは1968年、ベトナム戦争に反対して息子たちが徴兵されるのを避けるため、カナダのトロントに移り住み、そこでも高速道路の計画に反対する運動に加わった。