できごと

トルコ・シリア地震

Turkey–Syria earthquake
AD2023年2月6日
重要度 4
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このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD2023年2月6日の版図を描いています(62勢力)。

概要

マグニチュード7.8と7.5。トルコとシリアで6万人が死んだ。耐震の基準を満たさない建物が崩れ、建設業者が逮捕された。内戦下のシリア北部には、援助が届かなかった。

場所

カフラマンマラシュ
37.58°N 36.93°E · トルコ

本文

2023年2月6日、午前4時17分。トルコ南部カフラマンマラシュ県のパザルジュクの近くで、マグニチュード7.8の地震が起きた。震源は浅く、アフリカ大陸の側から押されるアナトリアの地塊の東の縁を走る東アナトリア断層が、300キロ以上にわたって一気にずれた。人々の多くは眠っていた。9時間後の午後1時24分、北のエルビスタンの近くで、別の断層がマグニチュード7.5の揺れを起こした。一日に二度、大地震が来たのである。トルコでこの規模の地震は、1939年のエルジンジャン地震以来だった。

揺れはトルコの11の県、1400万人ほどが住む地域を襲い、国境を越えてシリアの北部にも及んだ。シリアのアレッポ、イドリブ、ラタキアなどである。シリアでは2011年からの内戦(シリア内戦)が続いており、北西部のイドリブ周辺は反体制派が支配する最後の地域の一つで、国内のほかの土地から逃げてきた人々があふれていた。

最大余震の震央の位置(出典:USGS)
最大余震の震央の位置(出典:USGS)Wikimedia Commons United States Geological Survey · Public domain

季節は真冬だった。夜明け前の寒さの中、雪の降る町もあった。崩れた建物の多くは、床の上に床が重なり落ちるように、層ごとに潰れていた。一階を店舗にして壁を抜き、柱だけで上の階を支える「柔らかい階」の建物や、鉄筋が少なく、海の砂を混ぜた質の悪いコンクリートの建物が目立った。

トルコには、1999年に西部のイズミットで1万7000人ほどが死んだ地震のあと、厳しい耐震の基準ができていた。問題は、それが守られていなかったことである。2018年、政府は選挙を前に「建築恩赦」と呼ばれる制度を設け、許可を得ずに建てたり違法に階を継ぎ足したりした建物を、手数料を払えば合法と認めた。申請は数百万件にのぼった。エルドアン大統領が、この恩赦で住民の問題を解決したと被災地の町で誇っていた演説の映像が、地震のあと繰り返し流された。南のハタイ県アンタキヤでは、地震に強いと宣伝された12階建ての高級マンションが崩れ、その建設業者は国外へ出ようとしたところをイスタンブールの空港で拘束された。建設業者や役人など数百人が取り調べを受けた。

トルコのハタイ県にある被災建物
トルコのハタイ県にある被災建物Wikimedia Commons Hilmi Hacaloğlu · Public domain

救出は時間との競争だった。各地で人々が素手で瓦礫を掘り、72時間を過ぎても、さらに一週間、10日を過ぎてから助け出される人がいた。だが救いの手の届かない場所も多かった。トルコの災害対策の機関の動きは遅いと批判され、被災地では「国はどこにいるのか」という声が上がった。政府はSNSの一部を一時制限し、批判を招いた。世界の90を超える国から救助隊が来た。長く対立してきたギリシアや、国交の無いアルメニアも救助隊を送り、アルメニアとの国境の門は、1988年のアルメニア地震でトルコが援助物資を送って以来、35年ぶりに開かれた。

シリアの北西部は、さらに孤立していた。国連の援助物資がトルコから入れる国境の通過点は、安全保障理事会の決議で、バブ・アル・ハワの一か所だけに絞られていた。地震で道路が傷み、最初の数日、救助のための援助はほとんど届かなかった。国連の人道問題の責任者は、北西シリアの人々を見捨ててしまったと認めた。瓦礫の下の人々を掘り出したのは、主に「ホワイト・ヘルメット」と呼ばれる地元の民間の救助隊だった。アサド政権は欧米の制裁が救援を妨げていると訴え、アメリカは地震の救援に限って制裁を半年間ゆるめた。一週間後、アサドは国境の通過点を二か所増やすことに同意した。

ディヤルバクルでの救助活動
ディヤルバクルでの救助活動Wikimedia Commons Mahmut Bozarslan (Voice of America) · Public domain

死者はトルコで5万3000人あまり、シリアで8500人ほどに達し、合わせて6万人近くにのぼった。家を失った人は数百万人にのぼる。トルコの南部には、仮設のテントとコンテナの町ができた。

3か月後の5月、エルドアンは大統領選挙の決選投票で再選された。被災地の多くの県でも、彼の得票は崩れなかった。エルドアンは一年で数十万戸の住宅を建てると約束したが、一年後に引き渡せたのは4万6000戸ほどで、多くの人がコンテナで二度目の冬を越した。

2023年トルコ中部の地震
2023年トルコ中部の地震Wikimedia Commons United States Geological Survey · Public domain

もっとも大きな傷を負った町の一つがアンタキヤである。紀元前300年ごろ、セレウコス1世が建てたアンティオキアで、セレウコス朝の都として栄え、ローマ帝国の東方の大都市となり、キリスト教徒という呼び名が初めて使われた町と伝えられる。古い石造りのモスクや教会、オスマン時代の家並みが残る旧市街は、大部分が崩れ、瓦礫が片付けられて更地になった。二千年を超えて人が住み続けてきた町の顔が、一夜で失われた。

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