概要
生糸は、開国した日本の最大の輸出品だった。だが手作業の糸は質がばらつき、外国の商人に買い叩かれる。政府は、フランスから技師と機械を招き、群馬の富岡に大きな製糸工場を建てた。1872年に動き出す。全国から士族の娘たちが工女として集められ、技術を覚えて故郷に戻り、各地の工場で教えた。赤い煉瓦の建物は、いまも残っている。のちの製糸業の繁栄は、長時間の労働に耐えた無数の女工たちによって支えられた。
場所
富岡
36.26°N 138.89°E · 日本・群馬県
36.26°N 138.89°E · 日本・群馬県
本文
買い叩かれる糸。
生糸は、開国した日本の最大の輸出品だった。
(1)だが、手作業の糸は質がばらつく。
(2)そして、外国の商人に買い叩かれた。
フランスの技師。
政府は、フランスから技師と機械を招いた。
(1)群馬の富岡に、大きな製糸工場を建てた。
(2)そして、1872年に動き出した。
(3)さらに、全国から士族の娘たちが工女として集められた。
技術を覚えて故郷に戻り、各地の工場で教えた。
残ること。
赤い煉瓦の建物は、いまも残っている。
のちの製糸業の繁栄は、長時間の労働に耐えた無数の女工たちによって支えられた。〈——『女工哀史』。〉