テカムセの部族連合
概要
部族の枠を越えた連合で入植を止めようとした。土地は誰か一人が売れるものではない、という主張だった。
場所
40.51°N -86.84°E · アメリカ・インディアナ州(ティピカヌー川とウォバッシュ川の合流点付近)
関わった人(1)
テカムセAD1768年頃–AD1813年10月5日 · 指導本文
アメリカ合衆国が独立すると、アパラチア山脈の西、オハイオ川の北の土地に入植者が押し寄せた。そこにはショーニー、マイアミ、デラウェア、ポタワトミなど多くの先住民が暮らしていた。1794年のフォールン・ティンバーズの戦いで先住民の連合軍が敗れると、翌年のグリーンヴィル条約で、いまのオハイオ州の大半が合衆国に渡った。その後も土地は、条約という形で少しずつ削られていった。
条約の結び方には仕掛けがあった。合衆国の役人は、部族ごとに、ときには一部の首長だけを相手に交渉した。酒や贈り物、借金の帳消しを持ちかけ、署名した者がいればそれで売買は成立したことにされた。インディアナ準州の総督ウィリアム・ヘンリー・ハリソンは、こうした条約を次々に結び、1809年のフォートウェイン条約ではおよそ300万エーカーの土地を手に入れた。

これに真正面から異を唱えたのが、ショーニー族のテカムセだった。彼の主張は、土地は先住民すべての共有のものであり、一つの部族や一部の首長が勝手に売る権利は無い、というものだった。だから一部族が署名した条約は無効であり、土地を守るには、部族の枠を越えて一つにまとまるしかない。それまでも部族どうしの同盟はあったが、土地の所有そのものを全体のものとする考えは、条約の仕組みの根元を突くものだった。
運動を宗教の面から支えたのは、弟のテンスクワタワだった。かつては酒におぼれていたが、1805年に幻を見て生まれ変わったと語り、「預言者」と呼ばれるようになる。彼は白人の酒や物品、衣服を捨て、先祖の生き方に戻るよう説いた。その教えに引かれて各地から人が集まり、1808年、兄弟はティピカヌー川がウォバッシュ川に注ぐあたりに村を開いた。のちにプロフェッツタウン(預言者の町)と呼ばれるこの村が、連合の拠点になった。

1810年、テカムセはインディアナ準州の都ヴィンセンズでハリソンと会い、フォートウェイン条約の取り消しを求めた。会談は激しい言い合いになり、双方が武器に手をかける場面もあったと伝えられる。土地を売るくらいなら、空気や大海も売ればよい、という趣旨の言葉もこのころテカムセが語ったものとして伝わるが、正確な言い回しの出典ははっきりしない。
テカムセは遠くまで足を運んだ。五大湖の周辺から、南はいまのアラバマやミシシッピのクリーク、チョクトー、チカソーの土地まで回り、連合に加わるよう説いた。チョクトーやチカソーの多くは慎重で、応じなかった。クリークの中では、彼の訴えに共鳴した若い戦士たちが「レッド・スティックス」と呼ばれる勢力になり、のちのクリーク戦争につながる。
その南部遊説の留守中、1811年11月、ハリソンは千人ほどの兵を率いてプロフェッツタウンに迫った。テンスクワタワは兵を夜明け前に攻めかからせたが、撃退され、ハリソンは村を焼いた(ティピカヌーの戦い)。戦いの規模は大きくなかったが、預言者の威信は大きく傷つき、集まっていた人々の一部は離れていった。
翌1812年、合衆国とイギリスの間で戦争が始まった。米英戦争である。テカムセは、合衆国に対抗するにはイギリスと組むしかないと考え、カナダのイギリス軍に加わった。イギリスのブロック少将とともにデトロイトを攻め落とし、先住民の戦士を率いて各地で戦った。イギリス側も、戦後に先住民の国を作ることを交渉の材料に挙げたことがある。
だが、エリー湖でイギリス艦隊が敗れると、イギリス軍は退却を始めた。1813年10月、いまのカナダのオンタリオ州でテムズの戦いが起こり、追ってきたハリソン軍の前にイギリス兵は早々に崩れた。テカムセは先住民の戦士とともに踏みとどまり、そこで戦死した。遺体の行方ははっきりせず、誰が討ったのかをめぐっても後に名乗りが相次いだ。
その死で、連合の構想は消えた。1814年の講和条約では、イギリスは先住民の国の要求を取り下げた。南ではクリーク戦争でアンドリュー・ジャクソンがレッド・スティックスを破り、広大な土地を割譲させた。以後、条約は部族ごとに結ばれ続け、土地は削られていく。1830年にはジャクソン大統領のもとで、東部の先住民をミシシッピ川の西へ移す法律が作られ、涙の道につながった。

ハリソンは「ティピカヌーの英雄」として名を上げ、1840年の大統領選挙では「ティピカヌーとタイラーも」という標語で勝った。一方、テカムセは敵だったはずのカナダや合衆国でも、勇敢で筋の通った指導者として語り継がれるようになる。土地は誰か一人が売れるものではない、という彼の問いは、合衆国が先住民と結んできた条約の正しさを問い直す声の中で、今も引かれている。