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Person / 人

アンドリュー・ジャクソン

Andrew Jackson
AD1767年3月15日 – AD1845年6月8日(享年78)
アメリカ合衆国重要度 5

概要

カロライナの辺境の孤児。13歳で独立戦争、イギリス兵に顔を斬られた。弁護士、決闘で人を殺した。1815年、ニューオーリンズでイギリスを破った。7代大統領。「オールド・ヒッコリー」。西部の白人の男全部の民主主義。合衆国銀行を潰した。猟官制。インディアン移住法。最高裁を無視した。奴隷を150人持っていた。20ドル札の顔で、2016年に外す案が出て、止まっている。

所属

アメリカ合衆国

関わったできごと(1)

涙の道1830年 · 移住法

本文

1767年、南北カロライナの境(どちらか分からない)。スコッツ・アイリッシュの移民。父は生まれる前に死んだ。1780年、13歳で独立戦争の民兵に。捕虜になって、イギリスの将校のブーツを磨くのを拒んで、剣で顔と手を斬られた。兄が2人死に、母が捕虜の看病で死んだ。14歳で孤児。イギリスを生涯憎んだ。

法律を独学して、テネシーへ。検事、判事、土地投機、農園(ハーミテージ)、奴隷。レイチェル・ドネルソンと結婚(前夫との離婚が成立していなかった。「重婚」と生涯言われた)。1806年、レイチェルを侮辱したディキンソンと決闘して、胸に弾を受けたまま、撃ち殺した。弾は一生、体にあった。

1813〜14年、クリーク戦争。ホースシュー・ベンド。1815年1月8日、ニューオーリンズ。イギリス軍8000を、雑多な7000(民兵、海賊ラフィット、自由黒人、チョクトー族)で、2時間で潰した。イギリスの死者2000、アメリカ13。講和はもう調印されていた(電信がなかった)。英雄。「オールド・ヒッコリー」。1818年、フロリダにスペインの許可なく侵攻して、イギリス人2人を絞首刑にした。

1824年、大統領選。一般票と選挙人票で1位。過半数なし。下院でアダムズが選ばれ、クレイが国務長官に。「腐敗した取引」。1828年、大勝。白人男子の普通選挙が広がった最初の選挙。就任式で、群衆がホワイトハウスに入って、陶器を壊した。

「ジャクソン民主主義」。猟官制(役職を支持者に配る。「戦利品は勝者に」)。合衆国銀行(東部の金持ちの道具だと、再認可を拒否し、政府の預金を引き揚げて潰した)。無効化の危機(サウスカロライナが関税を無効だと言い、軍を送ると脅した)。インディアン移住法。最高裁が(ウースター対ジョージア)チェロキーの側に立つと「マーシャルが判決を下した。彼に執行させろ」と言った、と伝える。1835年、暗殺未遂(拳銃が2丁とも不発。ジャクソンは杖で犯人を殴った)。

1837年、退任。ハーミテージ。1845年6月8日、死んだ。78歳。奴隷を150人持っていた。

20ドル札(1928年から)。2016年、オバマ政権が裏面をハリエット・タブマンにする案を出した。トランプ政権が止めた。バイデン政権が再開した。まだ。