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Event / できごと

浅草オペラ

Asakusa Opera
AD1917年 – AD1923年
期間を持つできごと重要度 3
大英帝国ロシア帝国清イギリス領インド帝国モンゴルチベット日本フランス領インドシナラタナコーシン朝(シャム)フィリピンAD1917年浅草
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1917年の版図を描いています(10勢力)。

概要

1917年、東京の浅草の劇場で、伊庭孝と舞踊家の高木徳子が、歌と踊りと芝居を組み合わせた舞台を上演して当たりをとった。本格の歌劇を日本語にして、安い木戸銭で見せる浅草オペラの始まりである。『カルメン』や『天国と地獄』が演じられ、「恋はやさし野辺の花よ」「ベアトリ姉ちゃん」の歌が町に流行した。劇場に通いつめる若い熱狂的なファンは「ペラゴロ」と呼ばれた。1923年の関東大震災で浅草の劇場が焼け、この熱は数年で終わったが、ここから出た榎本健一らが、のちの日本の喜劇を担った。

場所

浅草
35.71°N 139.80°E · 東京都台東区

本文

明治の終わり、帝国劇場にイタリアから教師が招かれ、本格の歌劇が上演された。しかし客は少なく、高い木戸銭を払う上流の人々のものにとどまった。その舞台で学んだ人々が、行き場を求めて、東京いちばんの盛り場だった浅草に流れてくる。

1917年、演出家の伊庭孝と舞踊家の高木徳子が、浅草の常盤座で、歌と踊りを交えた喜劇『女軍出征』を上演して大当たりした。これをきっかけに、浅草の劇場は次々に歌劇を出すようになる。オペレッタの『ボッカチオ』、オッフェンバックの『天国と地獄』、ビゼーの『カルメン』。筋は分かりやすく縮められ、歌は日本語に訳された。

「恋はやさし野辺の花よ」「ベアトリ姉ちゃん」「風の中の羽のように」。劇場から生まれた歌は、町の若者が口ずさむ流行歌になった。二階席に陣取り、ひいきの歌い手に声援を送る熱狂的なファンは、オペラとゴロツキを合わせて「ペラゴロ」と呼ばれた。学生だった宮沢賢治も浅草オペラに通ったと伝えられる。

1923年9月の関東大震災で、浅草の劇場の多くが焼け落ちた。一座は散り散りになり、浅草オペラの時代は6年ほどで終わる。しかし、合唱団の一人だった榎本健一は、のちに「エノケン」として昭和の喜劇の王になった。人気の歌い手だった田谷力三は、戦後も長く舞台に立った。西洋の音楽を、ふつうの町の人々の楽しみにした最初の場所だった。

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