できごと

『星月夜』

The Starry Night
AD1889年6月
重要度 3
『星月夜』に関わる図版:Van Gogh - Starry Night - Google Art Project
Van Gogh - Starry Night - Google Art Project Wikimedia Commons Vincent van Gogh · Public domain

概要

療養院の窓から見た夜を、記憶と想像で描いた。10年で2000点を描き、生前に売れたのはほとんど無い。弟への手紙が、その10年を日記のように残す。

場所

サン=レミ=ド=プロヴァンス
43.79°N 4.83°E · フランス・ブーシュ=デュ=ローヌ県

関わった人(1)

フィンセント・ファン・ゴッホAD1853年3月30日–AD1890年7月29日 · 制作

本文

1888年2月、フィンセント・ファン・ゴッホはパリを離れ、南フランスのアルルに移った。明るい光の中で、画家たちが共に暮らして描く「南のアトリエ」を作るつもりだった。10月にはゴーギャンが来て、黄色い家での共同生活が始まる。だが二人は芸術の考え方でも性格でもぶつかり、12月23日の夜、激しい言い争いのあと、ファン・ゴッホは自分の耳を剃刀で切り落とした。ゴーギャンはパリへ去った。

発作はその後も繰り返し、アルルの住民からは町から出すよう請願まで出された。1889年5月8日、ファン・ゴッホは自分の意思で、アルルから北東へ20キロあまりのサン=レミ=ド=プロヴァンスにある、元修道院の療養院に入った。弟テオが費用を払い、部屋が二つ与えられた。一つは寝室で、もう一つはアトリエとして使ってよいことになった。

『ローヌ川の星月夜』
『ローヌ川の星月夜』Wikimedia Commons Vincent van Gogh · Public domain

寝室の窓には鉄格子がはまり、東を向いていた。下には壁に囲まれた麦畑があり、その向こうにアルピーユの低い山並みが見えた。6月の初め、テオへの手紙にこう書いている。今朝、日の出のずっと前に窓から田園を眺めた。明けの明星のほかは何もなく、その星がとても大きく見えた、と。この時期、明け方の東の空には実際に金星が明るく出ていた。

『星月夜』は、その数日後に描かれたとみられている。ただし寝室では絵を描くことが許されず、アトリエで、昼間の記憶と素描をもとに仕上げた。窓から見えた麦畑の囲いは消え、手前に炎のように黒い糸杉が立ち、丘の下には実際の窓からは見えないはずの村が置かれた。教会の尖った塔は、南フランスよりも故郷オランダの村の教会に似ている、とよく指摘される。空には渦を巻く雲と、輪をまとった星々と、三日月が描かれている。画面は縦73センチ、横92センチほど。絵の具は厚く、短い筆の跡が並んで、空全体が動いているように見える。糸杉はこの時期のファン・ゴッホが繰り返し描いた主題で、オベリスクのように美しい形だと手紙に書いている。南フランスでは墓地に植えられる木でもあり、死と結びつけて読む人も多いが、本人はそういう意味づけを書き残していない。

ゴッホ『サン=レミの麦畑』
ゴッホ『サン=レミの麦畑』Wikimedia Commons Vincent van Gogh · Public domain

ファン・ゴッホは、この絵をあまり高く買っていなかった。秋にテオへ送った絵の中に入れたとき、夜の効果を描いた習作は配置の点で誇張しすぎた、と書いている。画家仲間のベルナールへの手紙でも、大きすぎる星に手を伸ばして、また失敗した、と振り返った。前の年の秋には、アルルでローヌ川の上の星空を描いていたが、そちらは見たままの夜景に近い。サン=レミの星空は、見たものよりも心の中の動きを描いた絵になった。

療養院にいた1年ほどのあいだに、ファン・ゴッホは150点前後の油絵を描いている。発作が起きると何週間も筆をとれず、収まるとまた猛烈に描いた。1890年5月にパリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズへ移り、7月27日に銃で自分を撃ったとされ、2日後に37歳で亡くなった。画家として描いた期間はおよそ10年で、その間に油絵860点ほどを含む2000点以上を残した。生前に売れたことが確かなのは、ごくわずかしかない。

ゴッホ『緑の畑』
ゴッホ『緑の畑』Wikimedia Commons Vincent van Gogh · Public domain

弟テオは兄の死の半年後に亡くなった。テオの妻ヨーは、残された絵と手紙を守り、展覧会を開き、1914年に兄弟の書簡集を出した。ファン・ゴッホの手紙は800通あまりが残り、その大半がテオにあてたものだ。何を見て、何を考え、どの色をどう混ぜたかまで、画家自身の言葉で分かる。『星月夜』の明けの明星も、その手紙がなければ、ただの想像の星と思われていただろう。

『星月夜』はその後いくつかの持ち主を経て、1941年にニューヨーク近代美術館の所蔵になった。いまは西洋の絵画の中で最もよく知られた一枚の一つになっている。描いた本人が失敗作と考えた絵が、そうなった。パリで出会った第一回印象派展の画家たちの明るい色と、熱心に集めた日本の浮世絵の大胆な線は、ここで、うねる筆の跡と心の表現へと変わっている。渦巻く空に神奈川沖浪裏の波を重ねて見る人もいるが、それを示す本人の言葉は残っていない。

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