概要
東から西へユニオン・パシフィック、西から東へセントラル・パシフィック。中国人労働者1万2000人がシエラネバダにトンネルを掘った。ユタのプロモントリーで、金の犬釘を打った。電信で「DONE」。ニューヨークからサンフランシスコまで、6か月が1週間に。バッファローが撃たれ、平原の先住民の暮らしが終わり、西部が開かれた。
場所
41.62°N -112.55°E · アメリカ・ユタ州
本文
1862年、南北戦争の最中、リンカーンが太平洋鉄道法に署名した。東からオマハ(ネブラスカ)を起点にユニオン・パシフィック、西からサクラメントを起点にセントラル・パシフィック。1マイルごとに、政府が国債(平地1万6000ドル、山地4万8000ドル)と、線路の両側の土地(10平方マイル)を与える。競争。多く敷いたほうが多く貰う。
セントラル・パシフィックは「ビッグ・フォー」(スタンフォード、ハンティントン、ホプキンズ、クロッカー)。シエラネバダ。花崗岩。労働者が足りず、1865年、中国人を50人試した。よく働いた。広東から呼んだ。1万2000人。全労働者の8割。トンネル15本。サミット・トンネルは1年半、1日20センチ。ニトログリセリン。雪崩。冬、雪の下で働いた。何百人が死んだか、記録がない。賃金は白人より少なく、食事と宿は自分持ち。1867年、ストライキ。会社は食糧を止めて、1週間で終わらせた。
ユニオン・パシフィックは平原。アイルランド人と南北戦争の退役兵、モルモン教徒。ドッジ将軍。「ヘル・オン・ホイールズ」(線路の先端についてくる町。酒場、賭博、売春)。スー族とシャイアン族が襲った。バッファローを撃つ人が雇われた。
1869年、両方が競って、線路が並行して敷かれた(政府の金のため)。議会がプロモントリーで合流と決めた。5月10日、ユタ州プロモントリー・サミット。カリフォルニアの金の犬釘(17.6金、6オンス)。スタンフォードが打ち損ねた(レールに当たった)。電信線を犬釘につないで、打つと全国に「DONE」。ワシントンで祝砲、サンフランシスコとニューヨークで鐘。写真。「East and West Shaking Hands」。中国人は写真にいない。
3069キロ。ニューヨークからサンフランシスコまで、幌馬車で6か月、船で(パナマかホーン岬)1か月から半年が、1週間、150ドル。
西部が開いた。移民が土地を取った。バッファローは1870年代に撃ち尽くされ(3000万頭が数百頭に)、平原の先住民は保留地に追われた。大陸の時間が4つの時間帯に統一された(1883年)。1882年、中国人排斥法。鉄道を作った人たちの入国が禁じられた。