概要
刑法200条は、父母や祖父母など目上の親族を殺した者を、死刑か無期懲役に限って罰すると定めていた。1968年、栃木県で、14歳のころから実の父に性的な虐待を受け、子を産まされ続けた29歳の女性が、結婚を妨げて自分を閉じ込める父を殺した。この条文では、どれほど事情を酌んでも刑の執行を猶予できない。1973年4月4日、最高裁判所の大法廷は、この条文は罰が重すぎて法の下の平等に反するとして、戦後初めて法律の規定を憲法違反とした。女性は執行猶予つきの判決を受けた。条文はその後も削られずに残り、1995年の刑法の改正でようやく消えた。
場所
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
本文
明治に作られた刑法は、200条で、自分や配偶者の父母・祖父母など目上の親族、すなわち尊属を殺した者を、死刑か無期懲役に処すと定めていた。ふつうの殺人を定める199条は、死刑か無期、または3年以上の懲役で、事情によっては刑の執行を猶予することもできた。尊属殺だけが特別に重いのは、親への孝行を重んじる考えによるものだった。戦後、日本国憲法が法の下の平等を定めたあとも、最高裁は1950年に、この規定を合憲としていた。
1968年10月、栃木県矢板市で、29歳の女性が実の父を絞め殺した。女性は14歳のころから父に性的な虐待を受け続け、父との間に5人の子を産まされていた(うち2人は幼くして死んだ)。職場で出会った男性と結婚しようとすると、父は彼女を家に閉じ込め、暴力と脅しを10日ほど続けた。その果てに起きた事件だった。
刑法200条を当てはめれば、刑は無期懲役か死刑しか無い。裁判で減刑を重ねても、執行を猶予できる短さにはならない。弁護人は、この条文そのものが憲法14条の法の下の平等に反すると訴えた。
1973年4月4日、最高裁判所の大法廷は、15人の判事のうち14人の多数で、刑法200条を憲法違反とした。そのうち8人は、尊属を重く罰すること自体は許されるが、死刑と無期しか選べないのは重すぎるとした。6人は、尊属を特別に扱うこと自体が平等に反するとした。最高裁が法律の規定を憲法違反と判断したのは、戦後これが初めてだった。女性には、ふつうの殺人の罪で、懲役2年6か月、執行猶予3年が言い渡された。
違憲とされた条文は、国会が削らないまま、刑法の中に残り続けた。検察はその後、尊属殺の罪で人を起訴しなくなり、条文は事実上使われなくなった。条文がようやく削られたのは、22年後の1995年、刑法を口語の文に改めたときである。