できごと

戦艦ビスマルクの撃沈

Last battle of the battleship Bismarck
AD1941年5月27日
重要度 3
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概要

フッドを沈めた独戦艦ビスマルクを英海軍が総出で追い、雷撃機で舵を壊したうえ砲撃で沈めた。乗組員2200人余りのうち生存は114人。

場所

ビスマルクの沈没地点
48.17°N -16.20°E · 北大西洋(フランス・ブレストの西約560km)

関わった人(1)

ヒトラーAD1889年4月20日–AD1945年4月30日 · 撃沈に衝撃を受け、大型艦の出撃に慎重になった

本文

戦艦ビスマルクは、ドイツがヴェルサイユ条約の制限を捨てて海軍を立て直すなかで造られた。ハンブルクの造船所で1939年2月に進水し、1940年8月に就役する。38センチ砲8門を備え、満載で5万トン近いこの艦は、当時ヨーロッパで最も強い戦艦の一つだった。第二次世界大戦が始まると、ドイツ海軍はイギリスへ食料や物資を運ぶ船団を襲うことで、島国を干上がらせようとした。大西洋の戦いである。潜水艦だけでなく、大型の水上艦を大西洋へ出すことも、その一手だった。

1941年5月、ビスマルクは重巡洋艦プリンツ・オイゲンとともに、バルト海の港を出た。作戦は「ライン演習」と名付けられ、艦隊を率いたのはギュンター・リュッチェンス提督である。イギリス海軍はこの動きをつかみ、北の海で待ち構えた。5月24日の朝、グリーンランドとアイスランドのあいだのデンマーク海峡で、イギリスの巡洋戦艦フッドと新しい戦艦プリンス・オブ・ウェールズがビスマルクと撃ち合った。ビスマルクの砲弾がフッドに当たると、フッドは大爆発を起こして数分で沈み、乗っていた1400人余りのうち助かったのは3人だけだった。海軍の誇りと呼ばれた艦を失ったイギリスでは、衝撃が走った。

クララ・ヒトラー(アドルフの母)
ヒトラーWikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

ビスマルクも無傷ではなかった。燃料の槽に穴が開いて油が漏れ、リュッチェンスは修理のためにフランスの港へ向かうことにした。イギリスは本国艦隊とジブラルタルの艦隊を動かし、使える艦をすべて追跡に回した。25日には一時ビスマルクを見失ったが、リュッチェンスが本国へ長い無線を送ったことで、おおよその位置を割り出される。26日の午前、北アイルランドから飛んだ哨戒の飛行艇が、海面に漏れた油の帯をたどってビスマルクを見つけた。

ドイツの空軍が守ってくれる海域に逃げ込まれる前に、足を止めなければならない。26日の夕方、空母アーク・ロイヤルから布張りの複葉の雷撃機ソードフィッシュが飛び立った。悪天候の中での攻撃で、魚雷の一本が艦尾に当たり、舵を左に曲がったまま動かなくした。ビスマルクはまっすぐ進めなくなり、追ってくるイギリスの戦艦の方へ向かう形になった。リュッチェンスは本国に、艦は操舵できない、最後の一弾まで戦う、と打電した。夜のあいだ、ポーランドの艦を含む駆逐艦の群れがまわりにまとわりつき、疲れ切った乗組員を眠らせなかった。

5月27日の朝、イギリスの戦艦キング・ジョージ5世とロドニーが砲撃を始めた。ビスマルクの主砲は1時間ほどで沈黙し、ロドニーは近い距離まで寄って撃ち続けた。生き残った士官は艦を自ら沈める準備と、総員の退艦を命じた。巡洋艦ドーセットシャーが魚雷を撃ち込み、ビスマルクは10時40分ごろ艦尾から沈んだ。沈んだ直接の理由が砲撃と魚雷なのか、自沈なのかは長く論じられてきたが、受けた損傷だけでもいずれ沈んだという見方が多い。イギリス艦は生存者を引き上げ始めたが、潜水艦が近くにいるとの報せで救助を打ち切った。2200人を超える乗組員のうち、生き残ったのは114人だった。

指揮を執ったイギリスのジョン・トーヴィー提督は、ビスマルクは勝ち目のない戦いを勇敢に戦い、旗を掲げたまま沈んだ、と報告に書いた。ドイツでは衝撃が大きく、ヒトラーは大型の水上艦を大西洋へ出すことにいっそう慎重になった。以後、大西洋でのドイツの戦いは潜水艦が中心になる。一方で、旧式の複葉機の魚雷一本が最新の戦艦の命運を決めたことは、海の戦いの主役が戦艦から航空機へ移りつつあることを示していた。沈んだ艦の残骸は、1989年にロバート・バラードの調査隊によって水深4700メートルほどの海底で見つかった。

この戦いには、猫の話が付いて回る。ビスマルクに飼われていた猫が板切れにつかまって浮いているところを、駆逐艦コサックに拾われたというのである。コサックは同じ年の10月に潜水艦の魚雷で沈み、猫はその後に乗ったアーク・ロイヤルでも、11月にジブラルタルの沖で艦の沈没に遭った。三度の沈没を生き延びた猫は「不沈のサム」と呼ばれ、北アイルランドの船員の宿で余生を送ったと伝えられる。アーク・ロイヤルから猫が救われたことは当時の新聞に載っているが、その猫がビスマルクにいたという確かな証拠は無く、船乗りの語った話がふくらんだものとみる人も多い。

動画(1)

世界を騒がす猫歴史4選【放飼い令・猫兵器・猫文通・不沈のサム】非株式会社いつかやる四選の一つ、不沈のサムが最初に乗っていた艦として語る

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