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Event / できごと

裁判員制度の始まり

Saiban-in system
AD2009年5月21日
重要度 3
ロシア中国モンゴルビルマタイ日本ベトナムラオスフィリピンカンボジア朝鮮民主主義人民共和国大韓民国AD2009年5月21日東京
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD2009年5月21日の版図を描いています(12勢力)。

概要

2009年5月21日、くじで選ばれた市民が、殺人や強盗致死などの重い事件の刑事裁判に加わる裁判員制度が始まった。6人の裁判員と3人の裁判官が一緒に審理し、有罪か無罪か、有罪ならどれほどの刑かを決める。8月、東京地方裁判所で最初の裁判が開かれた。日本では戦前の1928年から陪審の制度があったが、使われることが少なく、1943年に止められていた。専門家だけの裁判を市民の感覚に近づけるのが狙いで、裁判所は書面より、法廷で見て聞いて分かる審理に変わっていった。

場所

東京
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都

本文

日本の刑事裁判は、長いあいだ、法律の専門家である裁判官だけが行ってきた。戦前の1928年には、市民が事実の認定に加わる陪審の制度が始まったが、被告人が陪審を辞退できたこともあって使われることは少なく、戦争中の1943年に止められたまま戻らなかった。

戦後の刑事裁判は、精密で、有罪の率が極めて高いことで知られた。一方で、裁判は長くかかり、法廷では分厚い書類のやりとりが中心で、傍聴しても何が争われているのか分かりにくかった。1999年に始まった司法の制度の改革の話し合いのなかで、裁判に市民の感覚を取り入れ、裁判を身近にすることが目標の一つになった。2004年5月、裁判員法が成立した。

2009年5月21日、裁判員制度が始まった。対象は、殺人、強盗致死傷、放火、危険運転致死など、重い罪の刑事裁判である。裁判員は、選挙人の名簿からくじで選ばれ、事件ごとに6人が、3人の裁判官と並んで法廷に座る。証拠を見て、証人の話を聞き、有罪か無罪か、有罪ならどれほどの刑にするかを、裁判官と話し合って決める。評決は多数決だが、有罪とするには裁判官が少なくとも一人加わっていなければならない。裁判員には、話し合いの中身を漏らさない義務が課される。

最初の裁判員裁判は、2009年8月、東京地方裁判所で開かれた。近所の女性を刺して殺した男の事件で、4日間で判決が出た。裁判所と検察と弁護人は、市民に分かるよう、法廷で図や映像を使い、短く話すことを工夫するようになった。

制度が始まって、性犯罪への刑は重くなり、反対に、執行猶予に保護観察を付ける判決は増えた。裁判員を務めた人の多くは、よい経験だったと答えている。一方で、遺体の写真などを見た裁判員が心の傷を負うこと、選ばれても辞退する人が多いことなど、課題も残されている。

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