概要
1948年の暮れ、熊本県人吉市で、祈祷師の夫婦が殺され、娘二人が傷を負った。翌月、23歳の免田栄が別の件で捕まり、眠らせない取り調べのなかで自白させられ、殺人の罪で起訴された。免田は法廷で無実を訴えたが、1951年に死刑が確定する。その夜は別の場所にいたという訴えは退けられた。獄中から再審を求め続け、6度目の請求が認められて、1983年7月15日、熊本地方裁判所八代支部は無罪を言い渡した。捕まってから34年あまり。死刑が確定した人が、やり直しの裁判で無罪になったのは、日本で初めてだった。
場所
32.80°N 130.71°E · 日本・熊本県
本文
1948年12月30日の未明、熊本県人吉市で、祈祷師の夫婦が刃物と斧で殺され、二人の娘も重い傷を負った。翌年の1月、近くの村に住む23歳の免田栄が、別の窃盗の疑いで捕まり、この事件について取り調べを受けた。
警察は、免田を何日も眠らせず、食事も満足に与えない取り調べを続け、自白させた。免田は事件の夜、別の場所の料理屋に泊まっていたと訴えたが、その店の女性の証言は、警察の調べのなかで変わっていった。裁判で免田は、自白は強いられたものだと無実を訴えたが、1950年、熊本地方裁判所八代支部は死刑を言い渡し、1951年に最高裁判所で死刑が確定した。
免田は、福岡の拘置所の死刑囚の房から、何度も裁判のやり直し、すなわち再審を求めた。1956年の3度目の請求では、いったん再審を開く決定が出たが、上の裁判所で取り消された。死刑囚の仲間が次々に処刑されていくなか、免田は聖書を読み、法律を学び続けた。弁護士や支援者が、凶器とされた鉈に血の跡が無いことなど、証拠の矛盾を掘り起こした。
1979年、6度目の請求で、福岡高等裁判所が再審を開くことを決めた。1983年7月15日、熊本地方裁判所八代支部は、自白は信用できず、事件の夜に別の場所にいたという訴えは認められるとして、免田に無罪を言い渡した。捕まってから34年6か月が過ぎ、免田は57歳になっていた。
死刑が確定した人が再審で無罪になったのは、日本で初めてだった。翌1984年には財田川事件と松山事件、1989年には島田事件でも、死刑囚が再審で無罪になった。四つの事件は、捜査と裁判が誤りうること、そして死刑はその誤りを取り返せないことを示した。免田は釈放のあと、年金を受け取る資格が無いなどの困難を抱えながら、死刑の廃止を訴えて各地で語り続け、2020年に95歳で亡くなった。