ハバクック計画
概要
第二次世界大戦中のイギリスが、氷と木材パルプを混ぜたパイクリートで巨大な空母を造ろうとした計画。カナダで模型を造ったが中止された。
場所
52.90°N -118.10°E · カナダ・アルバータ州(ジャスパー国立公園)
関わった人(1)
チャーチルAD1874年11月30日–AD1965年1月24日 · 計画に乗り気になり建造を急がせた本文
第二次世界大戦の大西洋では、ドイツの潜水艦Uボートがイギリスへ向かう輸送船団を襲い続けていた(大西洋の戦い)。大西洋の真ん中には、陸から飛び立つ飛行機の届かない海域があり、Uボートはそこで最も暴れた。この空白を埋めるために、海の真ん中に飛行機の降りられる島を浮かべようという、とてつもない計画が生まれた。それがハバクック計画である。
言い出したのは、イギリスの連合作戦本部で働いていた発明家ジェフリー・パイクである。鋼鉄やアルミニウムはどの分野でも足りなかった。パイクが目をつけたのは氷だった。氷は同じ重さの鋼鉄を作るのに比べて、わずか1パーセントのエネルギーで作れる。氷山を平らにならして滑走路にし、中をくりぬいて格納庫にすればよい、というのである。パイクは提案を外交用の封印袋でアメリカから送り、連合作戦本部長のマウントバッテン以外は開けるなと書き添えた。マウントバッテンはこれを首相のチャーチルに回し、チャーチルは大いに乗り気になった。

ただ、自然の氷山は水面の上に出ている部分が小さく、突然ひっくり返ることもある。計画を救ったのは、木材のパルプを混ぜて凍らせた新しい素材だった。パイクの名をとってパイクリートと呼ばれたこの素材は、ただの氷よりずっと強く、溶けにくく、水に浮く。研究を任された結晶学者のマックス・ペルーツは、ロンドンのスミスフィールド食肉市場の地下にある冷凍庫で、凍った肉の陰に隠れて実験を重ね、パルプ14パーセントと水86パーセントが最もよい配合だと突きとめた。
一方で問題も見つかった。氷はゆっくりと形を変えて流れる性質があり、パイクリートの船もマイナス16度ほどに冷やし続けなければ、少しずつたわんでしまう。船体には断熱材を巻き、冷凍の機械と管を張りめぐらせる必要があった。
寒さと氷の研究に慣れたカナダで、試験用の模型が造られることになった。アルバータ州のジャスパー国立公園にあるパトリシア湖で、縦18メートル、横9メートル、重さ1000トンの模型が組み立てられ、1馬力のモーターで凍らせ続けた。作業に当たったのは兵役の代わりに奉仕をしていた良心的兵役拒否者たちで、何を造っているのかは知らされなかった。
設計が進むにつれて、要求はふくらんでいった。海軍は魚雷に耐えるよう船体の厚さを12メートル以上にすることを求め、重い爆撃機を飛ばすために甲板の長さは約610メートルとされた。最終案の「ハバクックII」は排水量220万トン、船の外に並べた26基の電動機で進み、最大150機を載せるという、どの軍艦よりもはるかに大きなものになった。見積もりの費用は70万ポンドから250万ポンドへ膨らみ、断熱と冷凍に要る鋼材は、普通の空母を丸ごと造れるほどの量になった。
1943年8月のケベック会談では、マウントバッテンが会議の場に氷とパイクリートの塊を持ち込み、拳銃で撃ってみせたという話が伝わる。氷は砕け散ったが、パイクリートに当たった弾は跳ね返り、居並ぶ将軍たちの足もとを飛び回ったと、陸軍参謀総長ブルックの日記にある。会談にはフランクリン・ローズヴェルトも加わっていた。
しかし、そのころには戦況が計画を追い越していた。ポルトガルがアゾレス諸島の飛行場の使用を認め、航続距離を延ばした哨戒機と、数を増した護衛空母が、大西洋の空白をふさぎ始めていた。1943年12月の最後の会議で、パイクリートの巨大な船は、必要な資源の大きさと技術の難しさから実用的でないと結論された。
パトリシア湖の模型は、溶けきるまでに夏を三度越したという。金属の部品はいまも湖の底に沈んでいる。計画の名は旧約聖書のハバクク書にある「告げられても信じないような業」という言葉からとられたとされ、文書では綴りがしばしば間違えて書かれた。信じがたい船は、ついに海に浮かぶことはなかった。