概要
戦後の日本では、外国のお金が足りなかったため、仕事や留学などの理由が無ければ海外へ出ることはできなかった。1964年4月1日、観光のための海外旅行が自由になった。ただし年に1回、持ち出せる外貨は500ドルまでだった。この年、日本は為替の自由化を約束する国になり、秋には東京オリンピックが開かれた。翌年、日本航空は団体旅行の商品「ジャルパック」を売り出した。旅行は高嶺の花だったが、1970年代にジャンボ機と円高で値段が下がると、海外へ出る日本人は1972年に年100万人、1990年には1000万人を超えた。
場所
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
本文
戦後の日本は、外国のお金、とくにドルが乏しかった。輸入に必要な外貨を守るため、政府は国民が外国に出ることを厳しく制限した。海外に渡れるのは、仕事の出張、留学、移住など、はっきりした理由がある場合に限られ、外貨の持ち出しにも厳しい枠があった。観光のために海外へ出かけることは、事実上できなかった。
1960年代、日本の経済は高い成長を続け、輸出が伸びて外貨も貯まっていった。日本は先進国の仲間入りを目指し、1964年4月、国際通貨基金で、貿易や旅行の支払いのために外貨の取引を制限しない「8条国」になり、同じ月に経済協力開発機構に加盟した。これに合わせて、1964年4月1日、観光のための海外旅行が自由化された。ただし、旅行は年に1回、持ち出せる外貨は一人500ドルまでとされた。当時の1ドルは360円で、500ドルは18万円、大学を出た人の初任給の8倍あまりだった。
その年の秋には東京オリンピックが開かれ、世界から人がやってきた(東京オリンピック)。1965年、日本航空は、飛行機とホテルと観光をまとめた団体旅行の商品「ジャルパック」を売り出した。ヨーロッパを巡る17日間の旅は、70万円近くした。テレビでは、海外の各地を紹介する紀行番組が人気を呼び、海外旅行は人々のあこがれになった。
1966年には、年に1回という回数の制限がなくなり、外貨の持ち出しの枠も少しずつ広げられた。1970年代、大量の客を運べるジャンボ機が飛ぶようになり(ジャンボ機)、変動相場制への移行で円の値が上がると、海外旅行の値段は下がっていった。日本人の海外旅行者は、1964年の十数万人から、1972年に100万人、1990年には1000万人を超えた。新婚旅行でハワイやグアムへ行くこと、団体でヨーロッパの名所を回ることが、多くの人の手の届く楽しみになった。