概要
1689年の春、四十代半ばの松尾芭蕉は、住まいを人に譲り、門人の曾良と二人で江戸の深川を出た。東北から北陸をめぐり、美濃の大垣まで、およそ百五十日の旅である。平泉では、義経の最期と奥州藤原氏の栄華の跡を前に、夏草を詠んだ。紀行文は、旅のあと何年もかけて推敲され、芭蕉の死後に刊行される。事実どおりの記録ではなく、句と文を組み合わせて作り上げた作品だった。いまも多くの人が、その道筋をたどって歩いている。
場所
江戸
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
関わった人(1)
松尾芭蕉AD1644年–AD1694年 · 旅をした本文
住まいを譲って。
1689年の春。
(1)四十代半ばの松尾芭蕉は、住まいを人に譲った。
(2)そして、門人の曾良と二人で、江戸の深川を出た。
百五十日。
東北から北陸をめぐり、美濃の大垣まで、およそ百五十日の旅である。
(1)平泉では、義経の最期と奥州藤原氏の栄華の跡を前に、夏草を詠んだ。
(2)そして、立石寺では、岩にしみ入る蝉の声を詠んだ。
作り上げた旅。
紀行文は、旅のあと何年もかけて推敲された。
(1)芭蕉の死後に刊行される。
(2)そして、事実どおりの記録ではなく、句と文を組み合わせて作り上げた作品だった。
残ること。
いまも多くの人が、その道筋をたどって歩いている。
旅を書くことで、旅の意味そのものを作った。