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Person / 人

源義経

Minamoto no Yoshitsune
AD1159年 – AD1189年6月15日(文治5年閏4月30日)(享年30・推定)
鎌倉幕府重要度 5

概要

義朝の九男。母は常盤。鞍馬で育ち、奥州の藤原秀衡のもとへ。兄の挙兵に駆けつけ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦で平家を滅ぼした。兄に疎まれ、後白河から官位を受けたことで追われ、吉野、平泉。衣川で妻子と自害した。31歳。「判官びいき」。牛若丸。

関わったできごと(3)

一ノ谷の戦いAD1184年(寿永3年)2月 · 崖を下った壇ノ浦の戦いAD1185年4月25日 · 勝った屋島の戦いAD1185年(元暦2年)2月 · 嵐の中を渡った

本文

源義経。牛若。九郎。判官。 1159年。 「平治の乱。父義朝が死んだ」。 「常盤御前。今若、乙若、牛若。清盛が、助けた」。 「鞍馬寺。遮那王」。 「金売吉次」。 「奥州。秀衡」。 1180年10月。黄瀬川。 「兄」。 1184年1月。宇治川。義仲。 2月。一ノ谷。 「京。検非違使、左衛門少尉。判官」。 「頼朝は、許可なく官を受けた者を、怒った」。 1185年2月。屋島。 3月24日。壇ノ浦。 「八艘飛び」。 「知盛。『見るべきほどの事は見つ』」。 「安徳天皇。8歳。二位尼と」。 「宝剣が、沈んだ」。 「梶原景時の讒言」。 5月。腰越。「腰越状」。 「私は、兄のために、崖を下り、嵐の海を渡った。それなのに」。 「鎌倉に入れず」。 10月。土佐坊。 11月。「頼朝追討の院宣」。 「大物浦。嵐。静も、弁慶も、散った」。 「吉野。静」。 「静は鎌倉へ。鶴岡八幡宮で舞った。『吉野山峰の白雪踏み分けて入りにし人の跡ぞ恋しき』」。 「頼朝が怒った。政子が『私も、そうした』」。 「子は、男で、由比ヶ浜に」。 「山伏。北陸。安宅。『勧進帳』。弁慶が、義経を打った」。 1187年。平泉。 1189年閏4月30日。 「衣川。高館」。 「妻。郷御前。娘。4歳」。 「弁慶。立往生」。 「31歳」。 「首。43日。腰越。和田義盛と梶原景時が、確かめた」。 「『首は、腐っていて』」。 「『義経は、生きて、北へ』」。 「『蝦夷へ』。『大陸へ。チンギス・ハン』」。 「江戸時代」。 「『判官びいき』」。 「『義経記』。室町」。 「『勧進帳』。『船弁慶』。『安宅』。『義経千本桜』」。 「『牛若丸』。五条の橋」。 「日本で、最も、好かれた武士」。 「兄に、殺された」。 「頼朝は、義経の墓を、作らなかった」。 「白旗神社。藤沢。首を洗った池」。 「高館義経堂。平泉」。 「衣川」。