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Event / できごと

奥州合戦

Ōshū campaign
AD1189年(文治5年)
重要度 4

概要

義経を匿った藤原泰衡が、頼朝に迫られて義経を殺し、それでも頼朝は28万で攻めた。阿津賀志山。泰衡は逃げて家臣に殺された。100年の平泉が終わり、頼朝は東国を全部持った。翌年、京へ上った。

場所

平泉
38.99°N 141.11°E · 岩手県

関わった人(1)

源頼朝AD1147年–AD1199年 · 攻めた

本文

藤原秀衡。1187年10月、死んだ。 「義経を大将に、頼朝を防げ」。遺言。 泰衡。 1188年、頼朝が「義経を渡せ」。院も。 1189年閏4月30日。衣川。 「泰衡が、義経の館を襲った」。 「義経は、妻と娘を殺して、自害」。 6月、義経の首。酒に漬けて鎌倉へ。腰越。 「泰衡は、義経の首で、赦されると」。 「頼朝は、『泰衡は義経を匿った。討つ』」。 「院は、許さなかった。頼朝は、許しなしで」。 7月19日。 「28万4000騎」と『吾妻鏡』。 「三道」。東海道、東山道、北陸道。 8月8日。阿津賀志山。福島。 「二重の堀。泰衡の弟国衡」。 「畠山重忠。3日」。 「和田義盛」。 「国衡が死んだ」。 8月21日。平泉。 「泰衡は、平泉を焼いて、北へ」。 「頼朝は、平泉に入った。無量光院。金色堂は残った」。 9月3日。泰衡。「比内の贄柵」。家臣河田次郎が、殺した。 「頼朝は、河田を『主人を殺した』と斬った」。 9月、頼朝は平泉で「前九年の役の、頼義の故事」。 「厨川」。 「頼義が安倍貞任を殺した場所で」。 「源氏の東国の総仕上げ」。 10月、鎌倉へ。 1190年11月。上洛。「権大納言、右近衛大将」。 「奥州総奉行」。葛西清重。 「平泉の100年」。 清衡、基衡、秀衡、泰衡。 「金」。「馬」。「鷲の羽」。 「中尊寺。毛越寺。無量光院」。 「平安の宇治を、北に」。 「1189年で、終わった」。 「芭蕉。『夏草や兵どもが夢の跡』。500年後」。 「金色堂。1124年」。 「四人の遺体」。 「泰衡の首。桶。1950年の調査で、蓮の種。800年後に咲いた。『中尊寺ハス』」。 「衣川」。 「義経の高館」。 「義経が、死んだ場所」。 「頼朝が、来た」。

同じ時代のできごと

ナンマドールの造営AD12世紀頃から17世紀までトマス・ベケットの殺害AD1170年12月29日高麗の武臣政変AD1170年ヨーロッパの風車AD1180年頃法然の専修念仏AD1175年レニャーノの戦いAD1176年5月29日鹿ケ谷の陰謀AD1177年(治承元年)朱熹の白鹿洞書院AD1179年