できごと

ナスカの地上絵

Nazca Lines
BC100年 – AD800年
期間を持つできごと重要度 4
サバンナの狩猟採集民キャッサバ農民アマゾンの狩猟採集民パンパの諸文化アンデスの狩猟採集民カリブの狩猟採集民チョレーラ貝を採る人びとチャビンBC100年ナスカ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているBC100年の版図を描いています(9勢力)。

概要

数百の巨大な線と図形が乾いた台地に描かれた。目的は分かっていない。

場所

ナスカ
-14.74°N -75.13°E · ペルー

本文

ペルー南部の海岸から50キロほど内陸に入ったところに、ナスカとパルパの町に挟まれた乾いた台地が広がっている。世界でも指折りの乾燥地帯で、雨は年に数ミリしか降らず、風も弱い。この台地の上に、紀元前の数世紀から紀元後800年ごろにかけて、ナスカ文化の人々が数百の図形と、数えきれないほどの直線、三角形や台形の巨大な広場を描いた。それより前のパラカス文化の時代に描かれたものも含まれている。

描き方は単純である。台地の表面は、鉄分を含んで赤茶色に焼けた小石に覆われている。その石を取り除いて脇に寄せると、下から白っぽい地面が現れる。線の深さは十数センチから数十センチほどにすぎない。それが2000年近く残ったのは、雨がほとんど降らず、風で砂が吹き寄せられることも少ないからである。杭と縄を使えば、小さな下絵をそのまま大きく引き伸ばせることも、実験で確かめられている。

地上絵の全体が分かる衛星画像。右側が北で、広大な大地に無数の直線が描かれていることが分かる。なお動植物を描いた絵はこの写真では小さすぎて確認できない。北にある川の対岸には、「パルパの地上絵」エリアがあり、ここにも多数の地上絵がある。
地上絵の全体が分かる衛星画像。右側が北で、広大な大地に無数の直線が描かれていることが分かる。なお動植物を描いた絵はこの写真では小さすぎて確認できない。北にある川の対岸には、「パルパの地上絵」エリアがあり、ここにも多数の地上絵がある。Wikimedia Commons Public domain

図形には、ハチドリ、サル、クモ、コンドル、シャチ、花や木、人の姿などがある。ハチドリやサルは90メートルを超え、鳥の図形には200メートルを超えるものもある。直線は台地を何キロにもわたってまっすぐに走り、中には10キロを超えるものもある。図形の多くは一筆書きのように、一本の線が途切れずに輪郭をなぞっている。同じ動物や植物の姿は、ナスカの人々の色鮮やかな土器や織物にも描かれている。

地上絵が広く知られるようになったのは、20世紀に入ってからである。1920年代にペルーの考古学者が台地を歩いて線の存在を報告し、旅客機がこの上空を飛ぶようになって、空から見た姿が注目された。1939年、アメリカの研究者ポール・コソックは、冬至の日に太陽がちょうど一本の線の延長に沈むのを見て、地上絵を「世界最大の天文学の本」と呼んだ。その考えを受け継いだのが、ドイツ生まれの数学者マリア・ライヘである。彼女は半世紀にわたって台地に住み込み、線を測り続け、道路の建設や開発から地上絵を守る運動の先頭に立った。1994年、ナスカとパルパの地上絵は世界遺産に登録された。

有名なコンドルの絵
有名なコンドルの絵Wikimedia Commons Roger Canals · CC0

何のために描かれたのかは、いまも分かっていない。ライヘらの唱えた天文暦の説は、のちに線の向きを統計的に調べた研究で、星や太陽の方角と偶然以上に一致するとは言えないとされた。乾いた土地で何より大切な水との関わりを重く見る説では、線が地下水の流れや、水をもたらす山の方角を示しているとする。ナスカの人々は、山からの地下水を引く横穴式の水路を築いており、いまも使われているものがある。

線の上を人々が列をなして歩く儀礼の道だったとする説も有力である。図形の多くが一筆書きになっているのは、線をたどって歩くためだったのではないか、という考え方だ。線の上からは土器のかけらが多く見つかり、儀式で壊された跡と考えられている。また、空の神々に見せるためのものだったとする説もある。宇宙人の滑走路だという説は1960年代に本で広まって有名になったが、作り方も作った人々も分かっている以上、持ち出す必要はない。

Geoglifo La Familia - panoramio
Wikimedia Commons Pavel Špindler · CC BY 3.0

21世紀に入ってからは、日本の山形大学の調査団が、空中写真や現地の踏査で新しい地上絵を次々に見つけてきた。近年は人工知能に航空写真を学習させて候補を絞り込み、現地で確かめる方法がとられ、2024年に発表された研究では、半年ほどの調査で300を超える新しい図形が報告された。

新たに見つかった図形の多くは、長さ数メートルから数十メートルの小さなもので、石を積み上げて輪郭を描いた種類が多い。これらは台地を横切る小道のそばにあり、歩く人が地上から見られる。人や家畜、首を切られた人の姿などが描かれていた。一方、大きな線の図形は、儀礼の場に集まる共同体のためのものだったと考えられている。地上絵は一種類の目的で作られたのではなく、時代や場所によって役割が違ったのかもしれない。

Nasca - Trapecio - panoramio
Wikimedia Commons Pavel Špindler · CC BY 3.0

地上絵は、もろい。表面の石を一度動かせば、元には戻らない。2014年には環境保護団体の活動家たちがハチドリの近くに立ち入って足跡を残し、2018年には大型トラックが入り込んで線を傷つけた。周辺では違法な耕作や採掘も問題になっている。ナスカ文化はやがて衰え、のちにアンデスにはインカ帝国の拡大で知られる大帝国が現れるが、ナスカの人々がなぜこれほどの労力を台地に注いだのか、その答えはいまも乾いた台地の上に描かれたまま残っている。アンデスの古い文化の流れは、チャビン文化や、同じ頃に北の海岸で栄えたモチェ文化とあわせて見ると分かりやすい。

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