チャビン文化
概要
アンデス最初の広域文化。宗教を核に山地と海岸が結ばれ、インカまで続く伝統の土台になる。
場所
-9.59°N -77.18°E · ペルー
本文
アンデスでは、文字も鉄も持たないまま、早くから大きな神殿が建てられてきた。ペルーの海岸の谷では、紀元前3000年ごろにはすでにカラルの都市のような石の基壇と広場を持つ祭祀の中心が現れている。ただ、それらの影響は一つの谷や地域にとどまっていた。山地と海岸、北と南をまたいで、同じ図像と同じ信仰が広い範囲に行き渡るのは、紀元前1千年紀のチャビンが最初とされる。
中心となったのは、ペルー北部のアンデス山中、標高3000メートルを超える谷にあるチャビン・デ・ワンタルという神殿である。二つの川が合流する地点にあり、太平洋岸とアマゾン側の低地を結ぶ道の途中に位置する。神殿は何百年もかけて増築された。初めはU字形の基壇が丸い沈んだ広場を囲む形で、のちに南側へ大きく広げられ、四角い広場を持つ新しい神殿ができた。

神殿の内部には、石で組まれた暗く細い回廊が迷路のように走っている。古い神殿の中心、回廊が十字に交わるところに、高さ4メートルあまりの石柱が立つ。牙をむき出しにし、髪が蛇になった人の姿を彫ったもので、ランソンと呼ばれる。下は床に、上は天井に届き、狭い回廊からは全体を見渡せない。参拝者は暗闇の中を手探りで進み、突然この像の前に出たと考えられている。
神殿には、水と音を操る仕掛けもあった。基壇の中には排水の溝が張り巡らされ、水を流すと轟くような音が建物の中に響いたとみる研究者がいる。回廊からは、巻き貝に彫刻を施したほら貝のラッパがまとまって見つかった。外壁には、人とも獣ともつかない顔の石の頭が並べてはめ込まれていた。人の顔が少しずつジャガーのような顔へ変わっていく連作になっていると見る説がある。
図像の中には、サボテンを手に持つ姿もある。このサボテン(サン・ペドロ)は幻覚を起こす成分を含み、今もアンデスの民間の治療儀礼で使われている。石の頭の中には鼻から粘液を垂らしているものがあり、幻覚剤を吸ったあとの姿と解釈されている。暗い回廊、響く水音、ほら貝の音、幻覚を起こす飲み物。神殿全体が、訪れた人の意識を揺さぶり、神に出会ったと感じさせる装置だったという見方が有力である。
チャビンの図像の特徴は、ジャガーや猛禽、蛇、カイマン(ワニの仲間)を人の姿と組み合わせることにある。ジャガーとカイマンはアマゾン側の低地の動物で、山の神殿にその姿が刻まれていることは、東の熱帯との結びつきを示している。この図像は土器や織物、金の装飾品にも描かれ、北部の海岸や山地から、南は今のリマより南の海岸まで、広い範囲で見つかる。南海岸のパラカスでは、チャビン風の神を描いた織物も出ている。

広まり方は、征服によるものではなかったと考えられている。チャビンには、武器や城壁、戦いの跡がほとんど見られない。各地の人々がこの神殿に巡礼し、その信仰と図像を持ち帰った、あるいは神殿の神官が各地の祭祀の中心と結びついた、という説明が多い。黒曜石や海の貝、金の加工の技術などが、信仰の広がりとともに行き来した。
年代については研究者のあいだで幅がある。神殿の建設は紀元前1200年ごろまでさかのぼるとされる一方、広い範囲に影響が及んだ時期は紀元前900年ごろから紀元前500年ごろにかけてとする説、紀元前200年ごろまで続いたとする説があり、測定法や遺跡の解釈によって数百年ずれる。紀元前5世紀から前3世紀ごろには神殿の活動が衰え、各地はふたたび地域ごとの文化に戻っていった。

チャビン・デ・ワンタルを本格的に調べたのは、ペルーの考古学者フリオ・C・テーヨである。テーヨは20世紀初めにこの遺跡をアンデス文明の「母なる文化」と位置づけた。今では、それより古い神殿がいくつも見つかり、チャビンだけを起源とする見方は改められている。それでも、信仰によって離れた土地を結びつけるという型は、後のモチェ文化やナスカの地上絵を残した南海岸の人々、ティワナク、そしてインカ(インカ帝国の拡大)にいたるアンデスの国々にも形を変えて受け継がれたと考えられている。
遺跡は1985年に世界遺産に登録された。20世紀なかばには土石流で大きな被害を受けたが、発掘と修復は今も続いており、回廊の新しい部屋や、そこに納められた品が今世紀に入っても見つかっている。