ミルグラム実験
概要
イェール大学の心理学者ミルグラムが、人は権威の指示があればどこまで他人に苦痛を与えるかを調べた実験。多くの参加者が最後まで電気ショックのボタンを押した。
場所
41.31°N -72.93°E · アメリカ・コネチカット州
本文
1961年4月、エルサレムでナチスの親衛隊員アドルフ・アイヒマンの裁判が始まった(アイヒマン裁判)。ユダヤ人の移送を取り仕切った彼は、命令に従っただけだと主張した。ふつうの人も、命じられれば他人を傷つけるのだろうか。その3か月後の8月、アメリカのイェール大学で、若い心理学者スタンリー・ミルグラムがこの問いを確かめる実験を始めた。
参加者は、新聞の広告などで「記憶と学習の研究」として集められた、ニューヘイブンの町のさまざまな職業の男性たちである。謝礼は実験の成り行きにかかわらず払うと約束された。会場に来た参加者は、もう一人の参加者とくじを引き、先生役と生徒役に分かれる。実はもう一人は実験の協力者で、くじはどちらも先生と書かれていた。本当の参加者は、必ず先生役になるように仕組まれていたのである。

生徒役は隣の部屋で椅子に縛りつけられ、腕に電極をつけられた。先生役の前には、15ボルトから450ボルトまで、15ボルト刻みのスイッチが30個並ぶ機械が置かれ、「軽いショック」から「危険・激しいショック」まで表示があった。先生役は見本として一度、軽い電気ショックを受けた。そのうえで単語の組み合わせを覚えさせる問題を出し、生徒役が間違えるたびに、一段ずつ強い電気ショックを与えるよう指示された。
実際には電流は流れていなかった。生徒役は、電圧が上がるにつれて録音された声で痛みを訴え、やめてくれと叫び、300ボルトを超えると壁を叩き、やがて何も答えなくなった。先生役がためらうと、白衣を着た実験者が落ち着いた声で、「続けてください」「実験のためには続ける必要があります」「続けることが絶対に必要です」「あなたに選ぶ余地はありません、続けなければなりません」と、順に促した。四度促されてもやめたいと言えば、実験は終わった。

実験の前、ミルグラムが心理学の学生や精神科医に結果を予想させると、最後の450ボルトまで進む人はごくわずか、百人に一人か二人だろうという答えが返ってきた。ところが最初の実験では、40人の参加者全員が300ボルトまで進み、65パーセントにあたる26人が最後の450ボルトのスイッチまで押した。
参加者は平然としていたわけではない。汗をかき、震え、唇をかみ、抗議しながら、それでもスイッチを押し続けた人が多かった。実験の後、参加者には本当のことが明かされ、生徒役と引き合わされた。
ミルグラムは条件を変えて実験を重ねた。生徒役が同じ部屋にいて姿が見えると、最後まで押す人は減った。実験者が部屋を離れて電話で指示すると、さらに減った。先生役の仲間がそろって指示を拒むと、ほとんどの参加者がそれに続いて手を止めた。人を従わせているのは性格よりも状況であり、権威の近さや、逆らう人がいるかどうかで、ふるまいは大きく変わることが示された。ミルグラムは1963年に最初の論文を発表し、1974年に『服従の心理』にまとめた。
実験は大きな反響を呼ぶと同時に、激しい批判も受けた。参加者をだまし、強い苦しみを味わわせたことが許されるのか、という批判である。人を対象とする研究に本人の自発的な同意が欠かせないことは、すでにニュルンベルク綱領がうたっていた。ミルグラムの実験をめぐる議論は、研究の前に倫理審査を求める仕組みが広まるきっかけの一つになった。いまでは同じ形の実験を行うことはできない。
結果の読み方にも論争が続いている。のちに実験の記録を調べ直した研究者は、実験者がいつも決められた言葉どおりに促したわけではないこと、電気ショックが本物ではないと疑っていた参加者も少なくなかったことを指摘した。また、参加者は命令に機械的に従ったのではなく、科学の役に立つという目的に共感して続けたのだ、という解釈もある。
それでも、ふつうの人が状況しだいで残酷な行いに加わりうることを示した実験として、ミルグラムの実験は、アイヒマンについて「悪の凡庸さ」を論じたハンナ・アーレントの考えと並べて語られてきた。のちの役を与えるととともに、社会心理学で最もよく知られた実験の一つである。