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Event / できごと

ニュルンベルク綱領

The Nuremberg Code
AD1947年
重要度 5

概要

ニュルンベルク継続裁判の「医師裁判」。強制収容所で行われた人体実験——低体温、与圧、海水、毒ガス、双子の研究——について、23人が裁かれ、7人が処刑された。判決文に添えられた10項目が、この綱領である。第一条「被験者の自発的な同意が、絶対に不可欠である」。1964年のヘルシンキ宣言、各国の倫理委員会、そして「インフォームド・コンセント」という語の系譜が、ここから始まる。

場所

ニュルンベルク
49.45°N 11.08°E · ドイツ・バイエルン州

本文

1945〜46年、ニュルンベルク国際軍事裁判で、ナチス・ドイツの主要な指導者が裁かれた。

その後、アメリカが単独で行った12件の「継続裁判」がある。その第1号が、**医師裁判**(1946年12月〜1947年8月)。

被告23人。うち20人が医師。SSの医官、空軍の航空医学の研究者、大学教授、そしてヒトラーの主治医の一人。

**罪状**。

強制収容所の被収容者に対して行われた実験。

- **高高度実験**(ダッハウ)。与圧室で、標高2万メートル相当まで減圧する。パラシュート降下の限界を調べるため。被験者は痙攣し、多くが死んだ。生きている間に脳を切開する解剖が行われた例がある。 - **低体温実験**(ダッハウ)。氷水に何時間も浸ける。北海に不時着した搭乗員の蘇生法を調べるため。 - **海水実験**(ダッハウ)。海水だけを飲ませて何日生きられるかを見る。 - **マラリア、発疹チフス、黄疸、伝染病の接種**。 - **サルファ剤の実験**(ラーフェンスブリュック)。傷口を作り、木片やガラス片や細菌を詰め込んで、感染させてから薬を試す。ポーランド人女性が多く使われた。「兎(カニンヒェン)」と呼ばれた。 - **骨・筋肉・神経の再生と移植の実験**。 - **毒物とマスタードガス**。 - **断種**。X線、手術、薬物による大量断種の方法の開発。 - **双子の研究**(アウシュヴィッツ、ヨーゼフ・メンゲレ。彼は裁判の時点で逃亡していた)。 - **ユダヤ人骨格収集**(ストラスブール大学のアウグスト・ヒルトが、「絶滅する人種」の標本として、選んだ人々を殺して骨格標本にした)。 - そして、「安楽死」計画(**T4作戦**)。障害者と精神病者、7万人以上の殺害。

**弁護**。被告側は主張した。国際的にも国内的にも、人体実験に関する成文の規則は存在しない。アメリカでも囚人を使ったマラリアの実験が行われている。戦時の必要があった。国家の命令だった。

**判決**。1947年8月20日。有罪16人、無罪7人。死刑7人(1948年6月2日、絞首)。

**綱領**。

判決文の中に、「許容される医学実験」と題された節がある。10項目。

第一条が、最も長く、最も引用される。

「**被験者の自発的な同意(voluntary consent)が、絶対に不可欠である**。

これは、当該人物が、同意を与える法的な能力を持つこと、力・欺瞞・強迫・策略・その他いかなる形の強制や威圧も受けずに、自由な選択の力を行使できる状況にあること、そして、理解した上で明確な決定を下せるだけの、対象となる事柄についての十分な知識と理解を持つこと、を意味する。……

この後の要素は、実験の性質、期間、目的、方法と手段、予期しうる不都合と危険、そして参加によって生じうる健康への影響について、被験者に知らせることを要求する。……

同意の質を確認する義務と責任は、実験を発案し、指揮し、従事する各人にある。この義務と責任は、個人的なものであり、免責されることなく他人に委ねることはできない」。

残りの9項目。実験は社会にとって有益な結果をもたらすものであること。動物実験と既存の知識に基づいて設計されること。不必要な苦痛を避けること。死や障害が起きると予見される実験は行わないこと(医師自身も被験者になる場合を除く)。危険が人道上の重要性を超えないこと。適切な設備と準備。科学的に資格のある者のみが行うこと。**被験者はいつでも実験をやめる自由を持つこと**。そして、危険が生じたと判断したら実験者は中止すべきこと。

**その後**。

ニュルンベルク綱領そのものは、法ではない。判決の一部であり、拘束力を持たなかった。

しかも、皮肉なことに、この綱領は当初、「野蛮なナチスに対する規則であって、文明国の我々には関係ない」と受け取られた。

その後の実際の展開。

1964年、**ヘルシンキ宣言**(世界医師会)。研究の倫理の国際的な標準。以後、何度も改訂されている。

1966年、アメリカのヘンリー・ビーチャーが『ニューイングランド医学誌』に、権威ある医学雑誌に載った非倫理的な研究22例を列挙した論文を発表した。

1972年、タスキーギの暴露。

1974年、アメリカ国家研究法。IRB(施設内審査委員会)の義務化。

1979年、ベルモント・レポート。

そして、「**インフォームド・コンセント**」という語が、医療の現場の日常語になった。

判決文を書いた裁判官たちは、綱領が世界の医学の規範になるとは、おそらく思っていなかった。

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