概要
カリフォルニアのドライブインで、マクドナルド兄弟が店を一度閉め、作り直した。品目をハンバーガーなど9つに絞り、皿と食器をやめ、注文係と焼き係と包む係を分けた。自動車工場の流れ作業を厨房に持ち込んだのである。値段を半分にし、待ち時間を30秒にした。1954年、ミキサーの営業マンだったレイ・クロックが、8台注文が来たこの店を見に行った。加盟店の網が、食の均質化と、農業と物流の再編を引き起こした。
場所
34.11°N -117.29°E · アメリカ・カリフォルニア州
本文
**ドライブイン**。
1940年代のアメリカ南カリフォルニア。自動車が生活の中心にあった。
**ドライブイン・レストラン**が流行していた。車を停めると、**カーホップ**(多くは若い女性)が注文を取りに来て、料理をトレイに載せて車まで運ぶ。客は車の中で食べる。
メニューは幅広い。ハンバーガー、バーベキュー、サンドイッチ、チリ、パイ、25種類ほど。
**マクドナルド兄弟**。
**リチャード(ディック)**と**モーリス(マック)**。ニューハンプシャー州の靴工場労働者の息子。1930年、映画産業を目指してカリフォルニアへ来た。
映画館の経営、ホットドッグの屋台を経て、1940年、サンバーナディーノに「**マクドナルド兄弟バーベキュー**」を開いた。カーホップ式のドライブイン。
繁盛した。
**問題**。
しかし、彼らは帳簿を見て、気づいた。
- 売り上げの**8割**が、たった**3品目**——**ハンバーガー、フライドポテト、飲み物**——から来ている。 - 残りの20品目以上が、手間と在庫と廃棄を生んでいる。 - カーホップの人件費が高く、入れ替わりが激しい。 - 皿とグラスと食器の、洗浄と破損と盗難の費用が大きい。 - 客層——若者が車の中でたむろし、家族連れが来にくい。 - 一番の問題は、**遅い**こと。注文から提供まで20〜30分。
**1948年**。
彼らは、繁盛している店を、**3か月閉めた**。
そして、全部を作り直した。
**(1)メニューを絞る**。25品目 → **9品目**。ハンバーガー、チーズバーガー、フライドポテト(当初はポテトチップス)、シェイク、コーヒー、コーラ、オレンジ、ルートビア、パイ。
**(2)カーホップを廃止**。客が窓口まで来て、自分で注文し、自分で運ぶ(セルフサービス)。
**(3)皿と食器を廃止**。紙の袋、紙のコップ、紙で包む。洗い場が要らない。
**(4)値段を下げる**。ハンバーガーを**30セントから15セント**へ。半額。
**(5)調理を分解する**。
これが核心である。
彼らは、店の裏のテニスコートに、厨房の**実物大の図面をチョークで描いた**。
そして、従業員を呼んで、その上を歩かせた。誰がどこに立ち、何歩動き、どの順で手を伸ばすか。何度も描き直した。
(雨が降って、一晩で消えた。翌日また描いた。)
完成した配置。
- **グリル係**が、ハンバーガーだけを焼く。 - **ドレス係**が、バンズに、決まった量のケチャップ、マスタード、玉ねぎ、ピクルスだけを置く(**注文ごとの変更を受け付けない**。「全部同じ」)。 - **フライ係**が、ポテトだけを揚げる。 - **シェイク係**が、シェイクだけを作る。 - **包み係**が、包む。 - **カウンター係**が、受け取り、渡し、金を扱う。
道具も専用に作らせた。一度に多数のパティを扱えるスパチュラ。決まった量を出すケチャップとマスタードのディスペンサー(押すと同じ量が出る)。回転するシェイク・ミキサー(**マルチミキサー**)。
**フォードの流れ作業**を、厨房に持ち込んだ。
彼らはこれを「**スピーディー・サービス・システム**」と名づけた。マスコットのキャラクター「スピーディー」を作った。
**結果**。
注文から提供まで、**30秒**。
最初は失敗した。開店当初、客はカーホップを探して困惑し、売り上げが落ちた。
数か月後、客層が変わった。**家族連れ**が来るようになった。安く、速く、清潔で、子どもを連れて行ける。
1951年の売り上げ、27万7000ドル。同業の平均を大きく上回った。
『**アメリカン・レストラン・マガジン**』が1952年に取材し、全米に知られた。見学者が押しかけた。
(見学者の中に、**グレン・ベル**〈後のタコベル〉、**キース・クレイマー**と**マシュー・バーンズ**〈後のバーガーキング〉、**カール・カーチャー**〈カールスジュニア〉がいた。)
**レイ・クロック**。
シカゴのミルクシェイク・ミキサーの販売員。52歳。
彼が扱っていた「マルチミキサー」は、一度に5杯のシェイクを作れる機械である。ふつうの店は1台買えば足りる。
1954年、サンバーナディーノの小さな店から、**8台**の注文が来た。40杯分。
彼は見に行った。
朝、店の前に人が並んでいた。客が次々と来て、袋を持って車に戻っていく。彼は一日中、それを見ていた。
彼は兄弟に、フランチャイズの全国展開を持ちかけた。兄弟は乗り気ではなかった。彼らは既に十分な収入があり、以前のフランチャイズの試み(数店)でも、質の管理に苦労していた。
クロックが押し切った。1955年4月15日、イリノイ州デスプレーンズに、彼の1号店が開いた。
**その後**。
- 1961年、クロックが兄弟から権利を**270万ドル**で買い取った。契約に、兄弟が経営を続けるサンバーナディーノの1号店の扱いが含まれず、彼らは「マクドナルド」の名を使えなくなった。店を「ビッグM」と改名し、クロックが向かいに出店して、潰した。 - 兄弟に約束された売り上げの1%のロイヤルティは、口約束で、書面に残されなかった。支払われていない。 - 1965年、株式公開。 - 1967年、カナダとプエルトリコ。1971年、日本(銀座三越)、オーストラリア、ドイツ。 - 1990年、モスクワ(開店の日、3万人が並んだ)。
**波及**。
(1)**農業と物流の再編**。均一な大きさのジャガイモ(ラセットバーバンク種)、均一な牛肉、均一なバンズ。全国どこでも同じ味を出すには、供給側を規格化しなければならない。契約栽培と大規模化が進んだ。
(2)**労働**。技能を細分化した仕事は、訓練が短くて済む。低賃金、高い離職率、パートタイム。1980年代から「**マックジョブ**」という語が使われるようになった。
(3)**社会学の用語**。ジョージ・リッツァが1993年に「**マクドナルド化**」を論じた。効率性、計算可能性、予測可能性、そして技術による制御——それが社会の他の領域(教育、医療、旅行)へ広がる、という議論。
(4)**反作用**。1986年、ローマのスペイン広場近くの出店に抗議して、カルロ・ペトリーニが「**スローフード**」運動を始めた。
(5)**経済の指標**。1986年から、『エコノミスト』誌が「**ビッグマック指数**」を発表している。各国のビッグマックの価格を比較して、購買力平価を見る。半ば冗談で始まり、いまは真面目に引用される。
**兄弟**。
ディック・マクドナルドは1998年、モーリスは1971年に死んだ。
会社は長く、創業者をレイ・クロックとし、1955年を創業年としてきた(クロックの自伝の題は『**成功はゴミ箱の中に**』)。
近年、公式の年表に兄弟の1948年が記されるようになった。
チョークで描かれた厨房の図面は、残っていない。