概要
1943年、ドイツに占領されたオランダの小さな町カンペンの病院で、若い医師ウィレム・コルフは、腎臓が働かなくなった患者の血を体の外に引き出し、腸詰めの皮に使うセロハンの管に通して、洗濯の桶のような液に浸し、老廃物を抜いてから体に戻す機械を作った。回転するドラムは、車の部品や缶詰の缶で組み立てた。最初の十数人は助からなかったが、1945年、一人の女性が意識を取り戻して生き延びる。コルフは設計図を無償で世界に配った。人工透析は、いま世界で数百万人の命をつないでいる。
場所
52.56°N 5.91°E · オランダ・オーファーアイセル州
本文
腎臓は、血の中の老廃物と余分な水をこし取って尿にする臓器である。働かなくなると、毒が体にたまり、患者は数日から数週間で意識を失って死ぬ。20世紀の前半まで、打つ手は無かった。
ウィレム・コルフは、オランダのフローニンゲンの大学病院で、腎臓の病で死んでいく若い男性を看取った。1940年、ドイツがオランダを占領し、大学の病院にも占領者の手が伸びると、コルフは小さな町カンペンの病院へ移った。そこで彼は、血を体の外で洗う機械を作りはじめる。セロハンは、小さな分子は通すが、血の細胞やたんぱく質は通さない。ソーセージの皮に使うセロハンの管に血を流し、それを液に浸して回せば、老廃物だけが液のほうへ抜けていく。
材料は、戦時の町で手に入るものだった。回転するドラムには木を使い、車の水のポンプや、洗濯機の部品を組み合わせた。1943年から試した最初の十数人の患者は、ほとんどが助からなかった。1945年9月、腎臓の働かなくなった67歳の女性が、機械につながれて意識を取り戻し、その後も生き延びた。彼女は占領軍に協力したとして捕まっていた人で、町の人々の中には助けることに反対する声もあったという。
戦後、コルフは機械を無償で各国の病院に送り、設計図も特許を取らずに配った。のちにアメリカに渡り、人工心臓の開発も率いている。はじめ透析は、急な病で一時的に腎臓が止まった人を助けるものだった。1960年、腕の血管に管を植え込んで何度でもつなげる方法ができ、腎臓を失った人が、週に数回の透析で何年も生きられるようになる。日本では、30万人を超える人が透析を受けている。