ホセ・マルティの死
概要
詩人にして独立運動の組織者が、上陸から一か月半の戦闘で死んだ。スペインからの独立とともに、アメリカに呑まれないことを説きつづけていた。
場所
23.11°N -82.37°E · キューバ
関わった人(1)
ホセ・マルティAD1853年1月28日–AD1895年5月19日 · 戦死本文
ホセ・マルティは、1853年1月、スペインの植民地だったキューバのハバナで生まれた(ホセ・マルティ)。父はスペインのバレンシア出身の下級の軍人、母はカナリア諸島の出身で、家は貧しかった。少年のころ、学校の校長で詩人のラファエル・マリア・デ・メンディベに見いだされ、学費の援助を受けて学んだ。メンディベは、スペインからの独立を願う人だった。
1868年、キューバ東部で独立を求める戦争が始まった。のちに十年戦争と呼ばれる戦いである。15歳のマルティは、独立を支持する詩や新聞を書いた。翌年、友人がスペイン側の義勇兵に加わったことを裏切りだと責める手紙が見つかり、逮捕された。裁判の結果、17歳になったばかりの彼に、6年の重労働の刑が言い渡された。

ハバナの石切り場で、足に鎖をつけられて石を切った。強い日差しに目を傷め、鎖が擦れた足首の傷は、生涯消えなかった。家族の嘆願で刑は流刑に改められ、1871年、彼はスペイン本国へ送られた。マドリードで、獄中の体験を書いた冊子『キューバの政治犯収容所』を出し、サラゴサの大学で法律と哲学を学んだ。
それからの20年あまり、マルティは国から国へと移り住んだ。メキシコで新聞に書き、グアテマラで教え、十年戦争が終わってキューバに戻ったものの、再び陰謀の疑いでスペインへ追放された。ベネズエラを経て、1881年からはニューヨークに住んだ。

ニューヨークでの15年近く、彼は書き続けた。アルゼンチンの新聞に、アメリカの社会や政治を伝える記事を送り、ラテンアメリカ中で読まれた。詩集『素朴な詩』を出し、子どものための雑誌『黄金時代』を一人で書いて編んだ。『素朴な詩』の一節は、のちに歌「グアンタナメラ」の歌詞として世界に知られることになる。1891年の評論「われらのアメリカ」では、ラテンアメリカの国々はヨーロッパやアメリカの物真似ではなく、自分たちの土地と人びとに根ざした国を作るべきだと説いた。
マルティが説いたのは、スペインからの独立だけではなかった。北の大国アメリカは、キューバを買い取るか、併合するかを長く考えてきた。独立の戦いにアメリカを引き込めば、スペインの代わりにアメリカに呑まれる。キューバは自分たちの力で独立しなければならない。そして独立したキューバは、白人も黒人も、すべての人の共和国でなければならない。

1892年、マルティはキューバ革命党を立ち上げた。フロリダのタンパやキーウェストの葉巻工場で働くキューバ人の労働者たちが、乏しい賃金から資金を出した。マルティは工場を回って演説し、十年戦争の老将軍マキシモ・ゴメスやアントニオ・マセオを説いて、もう一度戦うことを承知させた。
1895年2月、キューバ島内で戦いが始まった。3月、マルティとゴメスはドミニカ共和国のモンテクリスティで、戦争の目的を述べた宣言に署名した。4月11日、二人はわずかな仲間とともに、嵐の夜、小舟でキューバ東部の海岸に上陸した。マルティは42歳、軍の経験は無かった。ゴメスは彼を少将に任じた。
5月18日、野営地でマルティは、メキシコの友人マヌエル・メルカドに宛てて手紙を書いていた。キューバの独立によって、アメリカがアンティル諸島に広がり、その力でラテンアメリカの国々にのしかかるのを、間に合ううちに防ぐこと。それが自分の務めだ、と。私は怪物の中で暮らし、その内臓を知っている、という一節がある。手紙は書きかけのまま残された。
翌5月19日、ドス・リオスという川の合流する土地で、スペイン軍の部隊と小競り合いになった。ゴメスは彼に後方にとどまるよう命じていたとされる。だがマルティは馬に乗って前へ駆け出し、撃たれて死んだ。遺体はスペイン軍に運ばれ、サンティアゴ・デ・クーバに葬られた。
独立戦争はマルティを欠いたまま続いた。1898年、アメリカがスペインと戦って勝ち(米西戦争)、キューバは1902年に共和国となった。だがその憲法には、アメリカが内政に介入する権利を認める条項が入れられ、グアンタナモには米軍の基地が置かれた。マルティが恐れていたことが、そのまま形になった。
いまキューバでは、マルティは「使徒」と呼ばれ、国の父として、あらゆる町の広場に像が立っている。1959年のキューバ革命を起こしたフィデル・カストロは、マルティこそ革命の思想の源だと語った。一方、アメリカに亡命したキューバ人たちも、自分たちの側にマルティを置いた。アメリカ政府がキューバに向けて流すラジオ放送は「ラジオ・マルティ」と名づけられている。立場の違う人びとが、同じ一人の名を自分のものだと主張し続けている。