ガザ戦争
概要
ハマスがイスラエルに越境攻撃して1200人を殺し、250人を人質にした。イスラエルはガザを封鎖して攻め、数万人が死に、200万人が家を失った。国際司法裁判所にジェノサイドの疑いで訴えられた。
場所
31.50°N 34.47°E · パレスチナ
本文
ガザ地区は、地中海に面した長さ約40キロ、幅6〜12キロほどの細長い土地に、200万人を超える人々が暮らす場所である。住民の多くは、イスラエルの建国の前後の戦争で故郷を追われた難民とその子孫だ。第三次中東戦争でイスラエルが占領し、オスロ合意の後はパレスチナ自治政府の下に入った。2005年、イスラエルは入植地と軍を引き揚げたが、2007年にイスラーム主義の組織ハマスがガザを掌握すると、エジプトとともに人と物の出入りを厳しく制限する封鎖を始めた。その後もハマスのロケット攻撃とイスラエルの空爆・侵攻が、2008年、2014年、2021年などに繰り返された。
2023年10月7日、ユダヤ教の祭日シムハト・トーラーの朝、午前6時半ごろ、ハマスはイスラエルに向けて数千発のロケットを撃つと同時に、境界の防護壁を何十か所も破って戦闘員を送り込んだ。第四次中東戦争の開戦から50年と1日目だった。戦闘員はバイクや車、パラグライダーで境界近くの町や軍の拠点を襲い、キブツ(共同農場)のベエリやクファル・アザ、ニル・オズでは、家々に押し入って住民を殺した。野外で開かれていたノヴァ音楽祭の会場では、360人以上が殺された。この日、イスラエル側では約1200人が死に、その多くは民間人だった。子どもや高齢者を含む約250人がガザへ連れ去られ、人質となった。ハマスはこの作戦を「アル・アクサの洪水」と名づけた。一日の死者としては、イスラエル建国以来最悪の惨事だった。

イスラエルは「鉄の剣」作戦を宣言し、ガザを完全に包囲して電気・燃料・食料・水の供給を断ち、激しい空爆を始めた。10月13日には、ガザ北部の約110万人に南への避難を命じた。10月17日、ガザ市のアハリ病院の中庭で爆発が起き、多数が死んだ。ハマスはイスラエルの空爆だと言い、イスラエルとアメリカはパレスチナの武装組織のロケットの誤射だと主張した。原因はいまも争われている。10月27日に地上侵攻が始まり、11月にはイスラエル軍が、ハマスの拠点があるとしてガザ最大のシファ病院に突入した。11月24日から1週間の一時休戦で、人質105人とパレスチナ人の囚人240人が解放された。
戦闘は南のハーン・ユニス、さらに避難民が身を寄せた最南端のラファへ広がった。2024年1月、南アフリカの訴えを受けた国際司法裁判所は、ジェノサイド条約が守る権利が損なわれる恐れがあると認め、イスラエルに防止のための措置を命じた(ジェノサイドがあったと判断したわけではない)。2月末には、援助物資のトラックに群がった人々が銃撃などで100人以上死に、4月には国際的な支援団体ワールド・セントラル・キッチンの職員7人が空爆で殺された。5月、国際刑事裁判所の検察官は、イスラエルのネタニヤフ首相とガラント国防相、ハマスの指導者3人について逮捕状を請求し、11月、ネタニヤフとガラント、ハマスのデイフに逮捕状が出た。

戦火は周りへ広がった。2024年7月、ハマスの政治指導者ハニーヤがテヘランで暗殺された。9月にはレバノンの武装組織ヒズボラの戦闘員が持つポケベルや無線機が一斉に爆発し、指導者ナスララも空爆で殺された。10月16日、10月7日の攻撃を指揮したとされるハマスの指導者シンワルが、ラファでイスラエル軍の部隊と偶然に遭遇して死んだ。
2025年1月に停戦が成立し、人質と囚人の交換が始まったが、3月にイスラエルは攻撃を再開した。3月から約2か月半、援助物資の搬入がほぼ止められ、飢えが広がった。8月、国連などの食料安全保障の評価の枠組み(IPC)は、ガザ市とその周辺で飢饉が起きていると認定した。中東で飢饉が認定されたのは初めてだった。9月には国連人権理事会の調査委員会が、イスラエルがジェノサイドを行っていると結論づけた。イスラエルは強く否定している。

2025年9月末、アメリカのトランプ大統領が20項目の和平案を示し、10月10日に停戦が発効した。3日後、生存していた人質20人全員が解放され、イスラエルは約2000人のパレスチナ人の囚人らを釈放した。この時点で、ガザの保健当局はパレスチナ人の死者を6万7000人以上、そのうち子どもを約2万人と発表していた。この数はハマスの統治下の機関によるもので、イスラエルは戦闘員と民間人を区別していないと批判するが、国連や多くの研究者は大筋で信頼できると見ており、医学誌ランセットに載った研究は実際の死者はさらに多いと推計した。建物の大半が壊れ、住民のほとんどが何度も避難を強いられた。報道関係者や国連の職員の死者も、過去の紛争に例のない数にのぼった。イスラエル軍の兵士の死者は、10月7日の戦死者を含めて900人を超えた。
この戦争が何であったのかについて、言葉はまだ一つに定まっていない。ジェノサイドと呼ぶのは国連の調査委員会やアムネスティ、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、イスラエルの人権団体ベツェレムなどで、イスラエル政府とアメリカはそれを否定し、自衛の戦争だと主張する。10月7日の攻撃が多くの民間人を標的にした残虐行為であったことと、その後のガザで起きた破壊と飢えとは、どちらも否定しがたい事実として残っている。停戦の後、ガザを誰が治め、どう再建するのかは、まだ見えていない。