できごと

『風姿花伝』

Fūshikaden
AD1400年頃
重要度 3
シベリアの諸集団白帳ハン国明チベットパガン朝日本クメール帝国朝鮮王朝スコータイ朝大越アユタヤ朝大越アイヌモシリチャンパAD1400年頃京都
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1400年頃の版図を描いています(14勢力)。

概要

能の稽古と芸を理論として書いた。「秘すれば花」。600年前の芸能論がいまも読まれている。

場所

京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府

関わった人(1)

世阿弥AD1363年頃–AD1443年頃 · 著者

本文

世阿弥が書いた、能の理論書になる。最初の三編が書かれたのが1400年ごろで、その後20年ほどかけて書き継がれ、全七編になった。

世阿弥は、大和の猿楽の座を率いた観阿弥の子として生まれた。1370年代半ば、京の今熊野で父子が演じた猿楽を、若い将軍足利義満が見物した。義満は12歳ほどの美少年だった世阿弥を気に入り、そばに置いた。猿楽は、寺社の祭礼で演じられる雑多な芸能から、将軍と公家が見る芸へと引き上げられていく。のちに北山文化と金閣に象徴される北山の文化の只中で、世阿弥は貴人の目に耐える芸を磨いた。

世阿弥『風姿花伝』第七、観世流の写本
世阿弥『風姿花伝』第七、観世流の写本Wikimedia Commons 出典の書籍より、アップロード者がスキャン · Public domain

観阿弥は1384年、駿河で舞ったのを最後に亡くなった。その最後の舞台について、世阿弥は、老いた父の芸がかえって花を増して見えた、と書いている。『風姿花伝』は、その父から受け継いだ教えを、自分の経験と考えを加えてまとめたものだった。

全七編は、年齢ごとの稽古を説く「年来稽古条々」、女、老人、鬼といった役柄ごとの演じ方を説く「物学条々」、問いと答えの形で舞台の工夫を説く「問答条々」、猿楽の起こりを語る「神儀」などからなる。最後の「別紙口伝」は、とりわけ大事な教えを書いた別の巻で、ごく限られた者にだけ渡された。

第一編は、年齢ごとの稽古の仕方から始まる。7歳ごろの稽古は、子どもが自然にやり出すことをそのままやらせよ、良い悪いを厳しく言うと嫌になってやめてしまう、と書く。12、13歳になると声も姿も美しく、何をしても見栄えがする。だがそれは「時分の花」、その年頃だけの花にすぎず、まことの花ではない、と戒める。24、25歳で人に褒められるのも、珍しさによる一時の花だという。34、35歳が芸の盛りで、ここで天下の評判を得られなければ、まことの花を得たとは言えない。44、45歳からは、身の花が失せていくのに合わせて演じ方を変える。50歳を過ぎれば、何もしないことのほかに手立てはない、とまで書く。

本当の花は、稽古を尽くした先にしかない。それも、ずっと咲いている花はない。散るからこそ咲くときに珍しい。世阿弥は「花と、面白きと、珍しきと、これ三つは同じ心なり」と書いた。観客が面白いと感じるのは、思いがけないものに出会ったときだ、という。

だから、手の内を明かさない。最後の編に「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」とある。種明かしをすれば驚きが消える。秘密があること自体を知られてはならない、とも書いている。

世阿弥が芸の目標に置いたのは「幽玄」、優美で品のある美しさだった。大和の猿楽は、もともと鬼などの荒々しい物まねを得意とし、優美な舞は近江の猿楽が得意とした。世阿弥は、京の貴人に好まれるその美しさを取り込みながら、物まねの確かさは手放さなかった。荒々しい鬼でさえ、どこかに花がなければならない、と考えた。

一つの芸に閉じこもらないことも説いた。物まねを芸の根本に置き、老人も女も鬼も演じ分ける。相手の好みも見る。都の目の肥えた客と、田舎の祭礼の客では、受けるものが違う。その場の空気の陰と陽を見て、演目と演じ方を変えよ、と。勝ち負けの決まる立合いの場で、どう相手に勝つかまで書いてある。芸術論であると同時に、座を率いて生き残るための書でもあった。

演者が観客の側から自分の姿を見る「離見の見」や、「初心忘るべからず」の言葉は、この書ではなく、のちに書かれた『花鏡』に出てくる。世阿弥はこのあとも『花鏡』をはじめ多くの伝書を書き、考えを深めていった。

晩年の世阿弥は不遇だった。将軍足利義教に疎まれ、跡を継ぐはずの長男元雅に先立たれ、1434年には佐渡へ流された。その後どうなったかは、はっきりしない。

『風姿花伝』は一族の秘伝として、ごく限られた者にだけ伝えられた。広く知られるようになったのは、1909年に歴史地理学者の吉田東伍が伝書をまとめて刊行してからになる。600年前の芸能論が、いまも演劇の書として、また人を育てる書、組織を率いる書として読まれている。

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