概要
1969年の暮れ、小学館の学年別の学習雑誌で、藤子不二雄(のちの藤子・F・不二雄)の漫画『ドラえもん』の連載が始まった。22世紀から来た猫型のロボットが、何をやってもうまくいかない少年のび太を、ポケットから出す未来の道具で助ける。学年ごとに雑誌を分けて、読者の年齢に合わせた話を描いた。1973年の最初のテレビアニメは半年で終わったが、1979年に始まった二度目のアニメは長く続き、映画も毎年作られるようになる。アジアを中心に世界で親しまれ、日本の顔の一つになった。
場所
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
本文
藤子不二雄は、藤本弘と安孫子素雄の二人で名乗っていた筆名である。二人は富山の高岡の小学校の同級生で、手塚治虫にあこがれて漫画を描き、東京の「トキワ荘」で暮らした。1960年代には『オバケのQ太郎』を大ヒットさせている。藤本は、子どもの日常に一つだけ不思議が入り込む「生活ギャグ漫画」を得意とした。
1969年の暮れ、小学館の学年別の学習雑誌の1970年1月号から、藤本の『ドラえもん』の連載が始まった。何をやってもうまくいかない少年の野比のび太のもとに、22世紀から、子孫が送り込んだ猫型のロボットがやって来る。ドラえもんはお腹のポケットから、どこでもドアやタケコプターといった未来の道具を出す。のび太はそれを使って困りごとを解決しようとして、たいてい失敗する。
同じ話を、『よいこ』から『小学四年生』まで6つの雑誌に、それぞれの年齢に合わせて描き分けた。1973年に日本テレビでアニメになったが、半年で終わる。連載はいったん終わりかけたが、単行本が売れ続けたことで息を吹き返し、1979年にテレビ朝日で始まった二度目のアニメは長く続いた。1980年からは毎年春に映画が作られている。
ドラえもんの道具は、子どもの願いを叶えるが、使い方を誤れば必ずしっぺ返しがある。便利な技術と人の弱さの関係を、子どもに分かる形で描いた漫画である。アジアを中心に世界で読まれ、2008年には外務省が「アニメ文化大使」に任じた。