できごと

シェール・アミ

Cher Ami
AD1918年10月4日
重要度 3
大英帝国ロシア帝国デンマークフランス領西アフリカアルジェリアドイツ帝国ポルトガル帝国Arabia (Nejd)ペルシアリビアオスマン帝国エジプトオーストリア=ハンガリー帝国スウェーデンノルウェーフィンランドフランスBritish Protectorateスペイングレートブリテン及びアイルランド連合王国モロッコKingfom of ItalyルーマニアアイスランドブルガリアチュニジアRio De OroセルビアギリシャアゼルバイジャンSpanish SaharaジョージアAD1918年10月4日アルゴンヌの森(位置は特定されていない)
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1918年10月4日の版図を描いています(32勢力)。

概要

第一次世界大戦の終わり近く、アルゴンヌの森で、アメリカ軍の一個大隊がドイツ軍に囲まれて孤立した。数日目、味方の砲兵が、大隊のいる場所をドイツ軍の陣地と取り違えて砲撃を始めた。無線は無い。指揮官は、残る最後の伝書鳩に「我々の砲撃が我々の上に落ちている。頼むから止めてくれ」と書いた紙を託した。鳩は撃たれて胸と脚に傷を負いながら、四十キロ離れた鳩舎まで飛び、砲撃は止んだ。生き残った兵は二百人足らずだった。フランス語で「親しい友」という名のこの鳩は、いまもワシントンの博物館にいる。

場所

アルゴンヌの森位置は特定されていない(誤差 ±km)
49.25°N 4.95°E · フランス・グラン・テスト地域圏

本文

1918年の秋、第一次世界大戦は最後の局面に入っていた。9月26日、アメリカ軍はフランス北東部で、ムーズ川とアルゴンヌの森にはさまれた地域に大攻勢をかけた。ムーズ=アルゴンヌの戦いである。アメリカがこの戦争に投じた最大の作戦で、百万人を超える兵が加わり、戦死者は2万6千人にのぼった。アルゴンヌの森は、深い谷と急な斜面と茂みが入り組み、4年にわたってドイツ軍が陣地を固めてきた場所だった。

10月2日、チャールズ・ホイットルジー少佐が率いる第77師団の一隊、およそ550人が、命令どおり森の中の谷を進んだ。少佐はニューヨークの弁護士から軍に入った人だった。ところが、両脇を進むはずの味方の部隊は、ドイツ軍の抵抗に阻まれて前に出られなかった。気がつくと、ホイットルジーの隊は前に突き出したまま、周りをドイツ軍に囲まれていた。新聞はのちに彼らを「失われた大隊」と呼んだ。実際には一つの大隊ではなく、いくつかの中隊の寄せ集めだった。

第一次世界大戦中、古いバスを改造した移動式鳩舎
第一次世界大戦中、古いバスを改造した移動式鳩舎Wikimedia Commons John Warwick Brooke · Public domain

隊には無線が無かった。ここまで電話線を引くこともできず、伝令を出せば撃たれる。後方との連絡の手段は、伝書鳩だけだった。伝書鳩は、どこへ運ばれても自分の鳩舎へ帰ろうとする。その性質を利用して、脚に付けた小さな筒に通信文を入れて放つのである。この戦争では、各国の軍が何十万羽もの鳩を使っていた。ホイットルジーは、援軍と弾薬と食料を求める通信を持たせて、一羽、また一羽と鳩を放った。多くはドイツ兵に撃ち落とされた。

包囲された兵たちは、水も食べ物も尽きかけ、傷ついた仲間を手当てする包帯も無くなった。谷の小さな流れまで水を汲みに行くと、狙撃された。それでも彼らは陣地を守り、降伏しなかった。

アルゴンヌの森の位置(フランス北東部)
アルゴンヌの森の位置(フランス北東部)Wikimedia Commons Pearson Scott Foresman · Public domain

10月4日の午後、思いもよらない砲撃が始まった。味方のアメリカ軍の砲兵が、隊のいる場所に砲弾を撃ち込み始めたのである。隊の位置が誤って伝わり、そこをドイツ軍の陣地だと取り違えたとされる。兵たちは味方の砲弾の下で倒れていった。残っていた鳩は、一羽だけだった。ホイットルジーは急いで紙に書いた。自分たちはこの道に沿った地点にいる、味方の砲兵が真上に砲弾を浴びせている、頼むから止めてくれ。紙は鳩の脚の筒に入れられた。その鳩の名は「シェール・アミ」、フランス語で「親しい友」という意味だった。

放たれた鳩は、すぐに撃たれた。いったん落ち、それからまた飛び上がった。胸を撃ち抜かれ、片方の目を失い、脚の一本は腱でかろうじてつながっていたという。それでもシェール・アミは、後方の師団の鳩舎まで、40キロほどの道のりを25分ほどで飛び帰ったと言われる。通信文の筒は、ちぎれかけた脚にぶら下がったまま残っていた。砲撃は止んだ。

アルゴンヌの森、シャテル=シェエリ近郊の谷。ヘンリー・ジョンソン軍曹とアルヴィン・ヨーク軍曹が戦った地(第一次世界大戦)
アルゴンヌの森、シャテル=シェエリ近郊の谷。ヘンリー・ジョンソン軍曹とアルヴィン・ヨーク軍曹が戦った地(第一次世界大戦)Wikimedia Commons Wilson44691 · Public domain

ただし、この場面には後から脚色された部分もあるとされる。砲撃がどの通信でどのくらいで止まったのか、細かな経過には食い違う記録がある。それでも、深手を負った鳩が通信を届けたこと自体は、当時の記録が伝えている。

隊はさらに数日持ちこたえた。ドイツ軍から降伏を勧める手紙も届いたが、ホイットルジーは応じなかった。10月8日、ようやく味方の部隊が囲みを破って彼らのもとにたどり着いた。森の谷から自分の足で歩いて出てこられたのは、550人ほどのうち200人足らずだった。ホイットルジーは英雄となり、議会名誉勲章を受けた。だが戦場の記憶は彼を離れず、3年後の1921年、彼は客船の航海中に姿を消した。海に身を投げたと考えられている。

シェール・アミは、軍医の手当てで命を取り留めた。失った脚の代わりに、小さな木の義足を付けてもらったと伝えられる。フランスからは戦功十字章を贈られ、戦争が終わると船でアメリカへ渡った。そして1919年、傷がもとで死んだ。体は剥製にされ、いまもワシントンのスミソニアンの国立アメリカ歴史博物館に置かれている。長く雌だと思われていたが、21世紀に入ってからの遺伝子の調べで、雄だったことが分かった。

これは、無線の時代の直前の出来事である。20年後の戦争では、兵が背負える小さな無線機が前線に出るようになる。それでも鳩は、第二次世界大戦でも通信や偵察に使われた。19世紀の半ばには、ロイターが電信の線が途切れたところを鳩でつないでいた(ロイターの伝書鳩)。20世紀の初めには、鳩に小さなカメラを付けて空から写真を撮る試みもあった(鳩のカメラ)。鳥に運ばせるのは、速さのためだけではない。電線も電波も届かないところから、届くからである。アルゴンヌの森の谷には、鳩しか無かった。

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