概要
ソウルの中心を流れる清渓川は、朝鮮戦争のあと、川辺にあふれた避難民のバラックと汚れた水に悩まされ、1950年代の末から蓋をされて道路になり、1970年代にはその上に高架の高速道路が架けられた。急成長する都市の象徴だった高架の道は、やがて老朽化した。2003年、ソウル市長の李明博は、高架の道路を取り壊し、川を地上に戻す工事に踏み切った。2005年10月1日、5.8キロにわたる川の流れが姿を現した。周りの気温が下がり、市民の憩いの場になったが、漢江から水をくみ上げて流す人工の川だという批判もあった。道路を壊して水辺を取り戻す試みとして、世界の都市の注目を集めた。
場所
37.57°N 126.98°E · 韓国
本文
清渓川は、ソウルの中心部を西から東へ流れ、漢江に注ぐ小さな川である。朝鮮王朝の時代、都の生活の水を流す川として、何度も川底をさらい、石の橋が架けられた。川辺では、女性たちが洗濯をし、子どもたちが遊んだ。
1950年代、朝鮮戦争のあと、ソウルには避難民が押し寄せ、清渓川の両岸には、板とトタンのバラックが立ち並んだ。家庭の排水と工場の廃水が流れ込み、川は汚れたどぶ川になった。政府は、1958年から川を暗渠にして蓋をする工事を始め、川の上は道路になった。1971年には、その上に、長さ5.6キロの清渓高架道路が完成した。高架の道は、都心を東西に結ぶ大動脈となり、急速に成長する韓国の経済の象徴になった。周りには、機械の部品や衣料、電気製品を扱う商店や小さな工場がひしめいた。
1990年代に入ると、高架の道路は老朽化し、補修に多額の費用がかかるようになった。暗渠の中の構造物も傷んでいた。2002年、ソウル市長の選挙で、清渓川を復元することを公約に掲げた李明博が当選した。高架の道路を取り壊せば、都心の交通が麻痺すると反対する声は強く、周りの商店の主たちも、工事の間の営業の損失を恐れて激しく抵抗した。市は、何千回もの話し合いを重ね、商店の移転の先を用意し、バスの路線を作り直した。
2003年7月、高架の道路の取り壊しが始まり、2005年10月1日、5.8キロにわたって、清渓川の流れが地上に姿を現した。川沿いには遊歩道が造られ、古い石の橋が復元され、夜にはライトアップされた。周りの気温は数度下がり、魚や鳥が戻り、川は市民と観光客の憩いの場になった。
一方で、もとの川はほとんど水が流れない川だったため、復元された清渓川には、漢江から毎日大量の水をくみ上げ、ポンプで流している。生態系の復元ではなく、巨大な人工の水路だという批判や、周りの地価が上がって古い商店が追い出されたという批判もある。それでも、都市の真ん中の高速道路を壊して水辺を取り戻した清渓川は、車の時代の都市を作り直す試みとして、世界の都市の注目を集めた。李明博は、この事業の成功を足がかりに、2008年に大統領になった。