できごと

『カンディード』

Candide
AD1759年
重要度 3
『カンディード』に関わる図版:Candide1759
Candide1759 Wikimedia Commons Voltaire · Public domain

概要

この世は最善だという楽天論を、リスボン地震と戦争と奴隷制を並べて笑った。最後は「自分の庭を耕そう」で終わる。

場所

パリ
48.86°N 2.35°E · フランス

関わった人(1)

ヴォルテールAD1694年11月21日–AD1778年5月30日 · 著者

本文

1755年11月1日、万聖節の朝、ポルトガルの都リスボンを大地震が襲った(リスボン大地震)。祝日のミサで教会に人が集まっていたところへ建物が崩れ、続いて津波が港を呑み、倒れたろうそくから火が出て町は数日燃え続けた。死者は数万人とされる。ヨーロッパでも指折りの豊かな港町が一日で廃墟になった。

この知らせは、ヨーロッパの知識人に一つの問いを突きつけた。当時、ゴットフリート・ライプニッツの哲学は、神は考えうるあらゆる世界の中で最善のものを選んで造ったのであり、悪や災いも全体から見れば必要な部分なのだ、と説いていた。イギリスの詩人ポープも「あるものはすべて正しい」と詠んだ。では、祈っていた人びとを教会ごと押しつぶした地震は、何のために必要だったのか。

炎上するリスボンと港の船を襲う津波を描いた1755年の銅版画
炎上するリスボンと港の船を襲う津波を描いた1755年の銅版画Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

ヴォルテールはまず1756年に詩『リスボンの災厄についての詩』を書き、こうした楽天論を正面から批判した。これに対してはジャン=ジャック・ルソーが手紙で反論している。人が都会に密集して高い家を建てたから被害が大きくなったのであって、神を責めるのは筋違いだ、という趣旨である。ヴォルテールは返事の代わりに、3年後、一冊の小説を出した。

『カンディード、あるいは楽天主義』は1759年の初め、ジュネーヴ、パリ、アムステルダムなどでほぼ同時に出た。表紙には「ラルフ博士のドイツ語原稿からの翻訳」と書かれ、作者の名はない。主人公の素直な若者カンディードは、ドイツの小さな城で家庭教師パングロス先生から「この世はありうる最善の世界である」と教え込まれて育つ。城主の娘キュネゴンドに口づけしたところを見つかって追い出され、そこから世界中を転げ回る旅が始まる。

ヴォルテールの肖像(1843年版『哲学辞典』の口絵)
ヴォルテールの肖像(1843年版『哲学辞典』の口絵)Wikimedia Commons Public domain

旅は災難の連続である。無理やり軍隊に入れられて戦争の殺し合いを見せられ、リスボンでは地震に遭い、その後の異端審問の火刑の儀式でパングロスは吊るされる。南アメリカへ渡り、黄金の国エルドラドを通り抜け、海賊と詐欺師と裏切りに出会う。死んだはずの人物が何度も生きて現れ、そのたびに信じがたい不幸の身の上話をする。それでもパングロスは理屈をこね、すべては最善のためだと言い張る。早い展開と乾いた皮肉で、悲惨な出来事が笑いに変わっていく。

いくつかの場面は、読者がよく知る現実をそのまま差し込んでいる。南米のスリナムで、カンディードは片手と片脚を失った黒人の奴隷に出会う。砂糖を作る工場で指を挟まれると手を切られ、逃げようとすると脚を切られるのだという。男は「これが、あなたがたがヨーロッパで砂糖を食べる代償です」と言う。またイギリスの港では、海戦で敗れた提督が銃殺されるのを見て、この国では時々提督を殺すのだ、ほかの者を励ますために、と聞かされる。1757年に実際に処刑されたビング提督のことで、ヴォルテールは彼の助命のために動いていた。

1803年の挿絵。カンディードが女性を襲っていると誤解し猿を銃撃する場面
1803年の挿絵。カンディードが女性を襲っていると誤解し猿を銃撃する場面Wikimedia Commons Jean-Michel Moreau · Public domain

物語の最後、年老いて醜くなったキュネゴンドと仲間たちは、コンスタンティノープルの近くに小さな農地を買って暮らす。近所のトルコ人の老人は、働くことが退屈と悪徳と貧乏という三つの不幸を遠ざけると言う。パングロスがまた、これまでの不幸もすべてこの幸せにつながっていたのだと説きはじめると、カンディードは「お説ごもっともです。でも、私たちの庭を耕さなければなりません」と答えて話を打ち切る。大きな理屈で世界を説明するより、目の前の仕事をせよ、という結びとして読まれてきた。

この本はすぐにジュネーヴとパリで禁書になり、のちにローマ教会の禁書目録にも載った。ヴォルテールは自分が書いたことを否定し続けたが、誰も信じなかった。禁じられたことでかえって評判になり、海賊版を含めて版を重ねた。なお、ライプニッツ自身の哲学はここで描かれるほど単純なものではなく、この小説はその戯画だと言われる。それでもパングロスの名は、どんな惨事も都合よく説明してしまう楽天家の代名詞として、いまも使われている。

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