ボトルの水
概要
安全な水道が普及した国で、水を瓶で買う市場が生まれた。フランスのペリエは1977年からアメリカで大規模な広告を打ち、健康と洗練の記号として売った。ダイエット飲料の代わりであり、そしてワインの代わりである。以後、世界の消費量は増え続け、いまや年間数千億リットルに達する。水道水と品質に有意な差が無い例が多く、価格は数百倍から千倍になる。使われるペットボトルの多くは再生されず、輸送の燃料と合わせて、環境の負荷が論じられている。
場所
40.71°N -74.01°E · アメリカ合衆国
本文
特別な水を瓶に詰めて売ること自体は、古くからあった。ヨーロッパの温泉地は、湧き出る鉱泉の水を瓶に詰めて売っていた。ドイツのゼルタースの炭酸泉は名高く、炭酸水を指す「セルツァー」という言葉はこの地名から来ている。ベルギーの町スパは、温泉地を意味する普通の言葉になった。こうした水は、消化に良い、痛風に効くといった、薬として売られていた。
南フランスのヴェルジェーズに湧く天然の炭酸泉も、その一つだった。20世紀の初め、この泉をイギリス人のジョン・ハームズワースが買い取り、ペリエという名で売り出した。独特の緑の瓶の形は、彼が体を鍛えるのに使っていた棍棒型の体操器具をまねたものだと伝えられる。
20世紀に水を瓶で買う市場が大きく育ったのには、逆説がある。19世紀から20世紀の前半にかけて、欧米の都市は安全な水道を作り上げた。水を濾過し、塩素で消毒し(水道に塩素)、水質の基準を定めた。それがコレラや腸チフスを都市から追い払った。20世紀の公衆衛生の最大の成果の一つである。ところが、安全な水が蛇口から出るようになったその国々で、わざわざ水を瓶で買う市場が生まれたのである。
転機は1977年、ペリエがアメリカで大がかりな広告を打ち始めたことだった。売ったのは、水そのものではない。一つは健康である。甘い炭酸飲料やダイエット飲料の代わりとして売り込んだ。二つ目は洗練で、フランスから来た緑の瓶は、酒を飲まない人がレストランで注文しても格好のつく、大人の飲み物になった。三つ目は自然で、地中深くから湧き出た太古の水という物語である。ペリエの売り上げは、数年で何十倍にも伸びた。

ほかの会社も次々と参入した。フランスのエヴィアンやヴィッテル、ヴォルヴィックなどの銘柄が世界に広がり、1990年代にはアメリカの清涼飲料の大手も乗り出した。ペプシは1994年に、コカ・コーラ(コカ・コーラの誕生)は1999年に、それぞれ自社の銘柄の水を売り出した。その中身は、湧き水ではなく、水道水を濾過し、ミネラルを加えて詰め直したものだった。そのことをはっきりとは表示していなかったが、市民団体の追及を受けて、ペプシは2007年、ラベルに水源が公共の水道であると記すことに同意した。いま世界のボトル入りの水の消費量は、年に数千億リットルに達し、なお増え続けている。
ボトルの水には、いくつもの問題が指摘されてきた。まず値段である。ボトルの水は水道水の数百倍から千倍もの値段がするが、その大部分は容器と輸送と広告の費用だ。次に品質である。多くの国では、水道水のほうが検査の回数も基準も厳しい。アメリカでは水道水とボトルの水を別の役所が規制していて、ボトルの水のほうが緩いと繰り返し指摘されている。目隠しをして飲み比べると区別がつかないという実験も数多い。1990年には、ペリエの水から有害なベンゼンが見つかり、一億六千万本が回収された。濾過の装置の手入れを怠ったのが原因だった。
そして容器である。ボトルの多くはペットボトルで、世界では一分間に百万本ほどが売られているという推計もある。その多くは再生されない。回収されても、同じ品質の飲料用ボトルに戻る割合は低く、繊維などに作り替えられた先で行き止まりになることが多い。ごみの行き場の問題は、豊かな国が貧しい国へごみを送り出す構図とも結びついてきた(中国がごみを受け入れなくなる)。2018年には、主な銘柄のボトルの水から、目に見えない小さなプラスチックの破片が見つかったという研究が発表され、2024年には、さらに小さなナノプラスチックが一リットルあたり何十万個も含まれているという報告が出た。体への影響は、まだよく分かっていない。
水源をめぐる争いもある。工場が地下水を大量にくみ上げ、地元の井戸の水位が下がったという訴えが各地で起きた。インドのケーララ州では、清涼飲料の工場が地元の住民の抗議を受けて操業を止めた。アメリカのミシガン州やカリフォルニア州、フランスのヴィッテルでも、ボトル詰めの会社による地下水のくみ上げが争いになっている。水はいったい誰のものなのか、という問いが、そこにある。
ここには、もう一つの皮肉がある。世界には、安全に管理された飲み水を得られない人が二十億人ほどいる。その同じ世界で、安全な水道のある国の人々が水を瓶で買っている。もっとも、水道が信用できない国では、ボトルの水は贅沢品ではなく、生きるための必需品である。メキシコやインドネシア、インドの多くの地域がそうだ。贅沢としての水と、命綱としての水。その二つが、同じ「ボトルの水」として、一つの市場の統計の中に混ざり合っている。