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Event / できごと

エイダ・ラヴレスの覚え書き

Ada Lovelace's Notes
AD1843年
重要度 5

概要

イタリアの数学者メナブレアが書いた解析機関の解説を、エイダが英訳し、原文の2倍以上の長さの注釈を付けた。注記Gに、ベルヌーイ数を求める手続きが表の形で書かれている。最初のプログラムと呼ばれる。それ以上に重要なのは、彼女が「この機械は数を計算するだけのものではない」と書いたことである。記号の関係を扱えるなら、和声の規則を与えれば作曲もできる。同時に、機械は人が命じたことしかできない、とも書いた。

場所

ロンドン
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド

関わった人(1)

エイダ・ラブレスAD1815年12月10日–AD1852年11月27日 · 書いた

本文

1842年、イタリアの数学者(後に首相になる)**ルイジ・メナブレア**が、バベッジがトリノで行った講演をもとに、解析機関の解説をフランス語で書いた。『バベッジ氏の考案した解析機関の素描』。

**エイダ・ラヴレス**が、これを英訳した。

バベッジが尋ねた。なぜ自分で書かなかったのか。彼女は、そんなことは思いつかなかった、と答えた。彼はそれなら注釈を付けるよう勧めた。

**注釈**は、A から G まで7つ。原文の2倍以上の長さになった。

1843年、『**科学論文集**』第3巻に掲載。署名は「A.A.L.」——イニシャルのみ。当時、貴族の女性が科学の論文に実名で署名することは、はばかられた。

**内容**。

**注記A**。階差機関と解析機関の違い。階差機関は特定の計算をする機械。解析機関は、**あらゆる計算をしうる**機械である。

彼女はここで、有名な一節を書いた。

「解析機関は、ジャカール織機が花や葉を織るように、**代数のパターンを織る**」。

(ジャカール織機は、パンチカードで紋様を指定する。バベッジは自分の家に、ジャカール織機で織られた織物の肖像画を掛けていた。)

**注記C、D、E**。カードの使い方、変数の扱い、三角関数の計算。

**注記F**。カードの節約。同じカードを繰り返し使う方法(現在の「ループ」に相当)。

**注記G**。ここに、二つのものがある。

(1)**プログラム**。

ベルヌーイ数を計算する手続きが、表の形で書かれている。25行。各行に、演算の種類、被演算数の在り処、結果の行き先、そして注釈がある。

再帰的な関係を使い、変数を更新しながらループを回す。

これが「**世界最初のプログラム**」と呼ばれる。

(この呼び方には議論がある。バベッジ自身が、より小さなプログラムの例を既に書いていた。彼女の手続きにも、印刷の誤りか彼女の誤りかは分からない小さな間違いがある。それでも、これは当時、印刷された最も精緻で完全な計算手順であり、そして——次の点のほうが、はるかに重要である。)

(2)**機械が何をしうるか、という洞察**。

「解析機関は、数を扱うことに限られない。もし、その基本的な操作の関係を、**数以外のもの**——たとえば、音の高さの関係——に対応させることができ、それが機械の操作に適した形に表現できるなら、機械は、どんな複雑さの、どんな長さの、精巧で科学的な**楽曲を作曲する**であろう」。

1843年である。

計算機を「数を速く計算する機械」ではなく、「**記号を規則に従って操作する機械**」と見た。だから、記号で表せるものなら何でも扱える。音楽も、文字も、図形も。

これは、バベッジ自身の理解を超えていた、と多くの歴史家が言う(そして、超えていなかった、と言う歴史家もいる)。

**そして、限界**。

同じ注記Gに、こうもある。

「解析機関は、**何かを創り出そうとする気取り**を持たない。それは、我々がそれに命じる方法を知っている限りのことを、なしうるにすぎない」。

1950年、アラン・チューリングが「計算機械と知能」という論文で、この一節を「**ラヴレス夫人の異議**」として取り上げ、反論している。

「機械が我々を驚かせることはない、という主張。しかし、機械はしばしば私を驚かせる」。

**エイダ**。

1815年12月10日、ロンドン生まれ。父は詩人**バイロン卿**、母はアン・イザベラ(アナベラ)・ミルバンク。

結婚は破綻していた。エイダが生後1か月のとき、母は娘を連れて実家に帰った。バイロンは翌年イギリスを去り、1824年、ギリシアの独立戦争のさなかに36歳で死んだ。

エイダは、父に二度と会わなかった。父の肖像画は、緑の布で覆われて家に掛けられていた。20歳になるまで、見ることを許されなかった。

母アナベラは、数学の教育を受けた女性で(バイロンは彼女を「平行四辺形の王女」と呼んだ)、娘が父の「詩的な狂気」を受け継がないよう、数学と論理を徹底して学ばせた。

家庭教師には、女性科学者**メアリー・サマヴィル**、そして論理学者**オーガスタス・ド・モルガン**がついた。

**1833年6月**、17歳。サマヴィルに連れられ、バベッジの家の夜会で、階差機関の試作模型を見た。

同席した人の記録。「若い女性が、その機械の働きを理解し、その偉大さを見て取った。他の客が、鏡を見る野蛮人のような目で眺めていたのとは違って」。

彼女はバベッジと文通を始めた。彼を「妖精」(自分の想像力を指して自分を「妖精」と呼んだ)と呼び、彼は彼女を「数の妖術使い(Enchantress of Number)」と呼んだ。

1835年、ウィリアム・キング(後の初代ラヴレス伯爵)と結婚。3人の子。

**晩年**。

彼女は病弱だった。麻疹で1年近く歩けなくなったことがある。晩年、痛みのためにアヘンチンキを常用した。

賭博に手を出した。競馬の必勝法を数学的に作ろうとし、友人と組んで大金を失い、宝石を質に入れた。

1852年11月27日、子宮癌で死んだ。**36歳**。父バイロンと同じ年齢である。

遺言により、ノッティンガムシャーのハックノールの教会、父の隣に葬られた。

**その後**。

彼女の注釈は、長く忘れられていた。

1953年、B・V・ボーデンが『**より速く思考せよ**』という本にこれを再録し、バベッジとエイダの仕事が再発見された。

1979年、アメリカ国防総省が新しいプログラミング言語に「**Ada**」と名づけた。

毎年10月の第2火曜日は「エイダ・ラヴレス・デー」。科学技術の分野の女性を顕彰する日である。

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