ARPANETの最初の通信
概要
UCLAのクラインロックの研究室から、スタンフォード研究所へ。「LOGIN」と打つつもりで、「L」「O」で相手のコンピュータが落ちた。「LO」。最初のメッセージ。1時間後、つながった。国防総省の高等研究計画局の金で、パケット交換(データを小さく分けて別々の道で送る)。1971年、電子メール。1973年、TCP/IP。1983年、インターネット。1989年、ウェブ。
場所
34.07°N -118.44°E · アメリカ・カリフォルニア州
本文
1957年10月、ソ連が人工衛星を打ち上げた(スプートニク1号)。科学技術でソ連に先を越されたという衝撃の中で、アメリカの国防総省は翌1958年、軍の各部門から独立して先端の研究に資金を出す組織、高等研究計画局(ARPA)を作った。その中に1962年、コンピュータの研究を担当する部署が置かれ、初代の責任者に心理学者でコンピュータの研究者のリックライダーが就いた。彼は、人とコンピュータが対話しながら考える未来を思い描き、1963年、仲間の研究者たちに宛てたメモで、全国のコンピュータを結ぶ「銀河間コンピュータ・ネットワーク」を冗談まじりに提案した。
当時のコンピュータは、一台が部屋を埋めるほど大きく、高価で、機種ごとに仕組みも言葉も違った。ARPAは全国の大学や研究所にコンピュータを買い与えていたが、それぞれが孤立していた。1966年、この部署を率いていたボブ・テイラーは、自分の部屋に三つの端末が並び、それぞれ別の場所のコンピュータにつながっていて、相手ごとに端末を替えなければならないことに苛立っていた。これを一つにつなげないか。テイラーは上司にかけ合って、研究費100万ドルをその場で取りつけたと回想している。設計は、MITのリンカーン研究所から引き抜かれたラリー・ロバーツが担った。目的は、高価なコンピュータと研究の成果を、離れた研究者どうしが共有することだった。

技術の核になったのが、パケット交換という考え方である。電話は、話している間じゅう、二人の間の回線を一本占有する。それに対してパケット交換では、データを小さな塊(パケット)に切り分け、一つひとつに宛先を書いて送り出す。塊は網の目のような通信網の中を、それぞれ空いている道を通って進み、着いた先で元の順に組み立て直される。回線を独り占めせず、途中の一部が壊れても別の道を通って届く。この考えは、ランド研究所のポール・バランが、核攻撃を受けても生き残る軍の通信網を研究する中で1960年代の初めに考え、イギリスの国立物理学研究所のドナルド・デイヴィスが、別に1965年ごろに思いついていた。「パケット」という名はデイヴィスがつけた。
1968年、ARPAはボストンの会社BBNに、ネットワークの要となる機械の製作を任せた。インターフェース・メッセージ・プロセッサ(IMP)と呼ばれる、冷蔵庫ほどの大きさの小型コンピュータで、各地の大型コンピュータとネットワークの間に立って、データの出し入れと中継を受け持つ。1969年9月、最初のIMPがロサンゼルスのカリフォルニア大学(UCLA)に届けられた。10月にはサンフランシスコ湾岸のスタンフォード研究所(SRI)、11月にはカリフォルニア大学サンタバーバラ校、12月にはユタ大学に置かれ、四つの拠点がつながった。

1969年10月29日の夜10時半、UCLAのボエルター・ホール3420号室。パケット交換の理論を研究していたレナード・クラインロックの研究室で、学生のプログラマー、チャーリー・クラインが、研究室のコンピュータから、500キロあまり離れたSRIのコンピュータにログインしようとした。SRIの側では、ビル・デュヴァルが待っていた。二人は電話をつなぎっぱなしにして、一文字ずつ確かめた。クラインは「LOGIN」と打ち始めた。「L」は届いたか。届いた。「O」は。届いた。「G」を打ったところで、SRIのコンピュータが止まった。送られてきた文字を処理する部分の不具合だった。こうして、コンピュータのネットワークを通った最初の言葉は「LO」になった。約1時間後、不具合を直して、ログインは成功した。研究室の記録帳には、手書きで「22時30分、SRIと交信。ホストからホストへ」とだけ書かれている。
クラインロックはのちに、この偶然を気に入って語った。英語の「LO」には「見よ」という古風な意味がある。1844年に電信を開いたモールスが最初に送った「神は何をなしたまいしか」(モールスの電信)ほど用意されたものではないが、これ以上ふさわしい最初の言葉はなかった、と。同じ年の7月には、アポロ11号の月面着陸が月に降りていた。世界の目が月に注がれていたこの年、もう一つの大きな出来事は、ほとんど誰にも知られずに始まった。

ネットワークは少しずつ広がった。1970年には東海岸にまで延び、1971年には、BBNのレイ・トムリンソンが、ネットワーク上の別のコンピュータの利用者にメッセージを送る仕組みを作り、宛先の区切りに「@」の記号を使った(最初の電子メール)。計算資源の共有のために作られたネットワークで、利用者たちが最も熱心に使ったのは、やがて電子メールになった。1972年にはワシントンの国際会議で公開の実演が行われ、1973年にはノルウェーとロンドンともつながった。
次の課題は、ARPANETとは別に生まれていた無線や衛星のネットワークを、互いにつなぐことだった。ヴィントン・サーフとロバート・カーンは1974年、仕組みの違うネットワークどうしをつなぐための約束事を発表した。のちのTCP/IPである。1983年1月1日、ARPANETはこの約束事に切り替わり、ネットワークのネットワーク、すなわちインターネットが動き始めた。1989年、スイスの欧州原子核研究機構(CERN)にいたティム・バーナーズ=リーが、文書どうしをリンクでつなぐウェブを提案した。役目を終えたARPANETは1990年に廃止された。1990年代の半ばには、インターネットは研究者のものから、商業と市民のものになった。

インターネットは核戦争に耐えるために作られた、と言われることがある。パケット交換の考えの源の一つが、核攻撃に耐える通信網の研究だったのは事実である。しかし、ARPANETを作った人々の目的は、研究者がコンピュータを共有することだった、と当事者たちは繰り返し述べている。その小さな目的から始まったものが、半世紀あまりで、地球上の数十億人の暮らしを結ぶ網になった。