アルキロコスの詩
概要
貴族と奴隷の子で、傭兵で、盾を捨てて逃げたことを自分で詩にした。「盾は茂みに置いてきた。また買えばいい」。ホメロスの英雄の裏側を、一人称で、韻律を変えて歌った最初の人。日食の詩は、BC648年4月6日の日食で年代が分かった。
場所
37.09°N 25.15°E · ギリシア
関わった人(1)
アルキロコスBC680年頃–BC645年頃 · 詩人本文
紀元前7世紀のギリシアで、詩といえば、何よりもホメロスの叙事詩(『イリアス』『オデュッセイア』の成立)だった。トロイアの城壁の前で名誉のために戦い、死んでいく英雄たち。詩人は自分のことを語らず、ムーサ(詩の女神)に歌わせる形をとって、遠い昔の神々と英雄の物語を伝えた。その世界に、「私」を主語にして、自分の戦場、自分の恋、自分の怒りを歌う詩人が現れた。エーゲ海の真ん中、大理石で知られるパロス島のアルキロコスである。
アルキロコスは、パロスの有力者の父と、奴隷の身分の母の間に生まれたと伝えられる。生活のために兵として戦い、北のタソス島へ渡ったパロスの植民者たちに加わって、対岸のトラキアの人々との戦いに明け暮れた。彼は自分を、戦の神の従者であり、同時にムーサの美しい贈り物を知る者だと歌った。槍の上に自分のパンがあり、槍の上に酒があり、槍にもたれて飲む、と歌った断片も残る。剣と竪琴の両方で生きる男の自己紹介である。

アルキロコスの名を最も有名にしたのは、盾の詩である。どこかのトラキア人が、いま自分の盾を手に入れて喜んでいるだろう。茂みのそばに、心ならずも置いてきた、傷一つない立派な盾だ。だが自分は命を拾った。あんな盾がどうなろうと構わない。また同じくらい良いのを買えばよい。ギリシアの戦士にとって、盾を捨てて逃げることは最大の恥だった。スパルタの母は息子に、盾を持って帰れ、さもなくば盾に乗せられて帰れ、と言ったと伝えられる。アルキロコスは、その恥を自分で詩にし、命のほうが大事だと笑ってみせた。のちにスパルタは彼の詩を禁じたという話もある。
恋と憎しみの詩もある。アルキロコスは、パロスの有力者リュカンベスの娘ネオブレと婚約したが、父親が約束を破った。怒った彼は、父と娘たちを、辛辣な嘲りの詩で攻撃した。韻律を自在に変え、短い詩句で人を突き刺すこの種の詩は、のちにイアンボスと呼ばれる。古代には、嘲られたリュカンベスと娘たちが恥じて首を吊ったという話まで語られた。後世の作り話とみられるが、アルキロコスの言葉はそれほど鋭いと受け止められていたのである。1974年には、エジプトで見つかったパピルスから、彼がネオブレの妹を草むらで口説く場面を描いた長い詩が読み解かれ、研究者を驚かせた。

アルキロコスの年代を決める手がかりになったのは、日食の詩である。もはや何も驚くことはない、何もありえないことは無い。オリュンポスの父ゼウスが、真昼を夜に変え、輝く太陽の光を隠したのだから。天文学者の計算によれば、紀元前648年4月6日に、エーゲ海の北部で皆既日食が見られた。この詩がその日食を歌ったものだとすれば、アルキロコスは紀元前7世紀の半ばに生きていたことになる。日付の分かる最も古いギリシアの詩人の一人とされるのはそのためである。のちにタレスが日食を予言したと伝えられる(タレスの日食予言)のより、半世紀あまり前のことだった。
アルキロコスは、ナクソスとの戦いで討ち死にしたと伝えられる。彼を殺した男がデルフォイの神託所を訪れると、巫女は、ムーサの従者を殺した者よ、神殿から出て行け、と告げたという。パロスでは彼は英雄として祀られ、紀元前3世紀には彼を祀る聖域が築かれた。そこで見つかった碑文には、少年の日のアルキロコスが牛を連れて市場へ行く途中、不思議な女たちに出会い、牛と引き換えに竪琴を受け取った、という物語が刻まれている。女たちはムーサだった、というのである。

古代の人々は、アルキロコスをホメロスやヘシオドスと並べて、最も重要な古い詩人の一人に数えた。彼の詩はほとんどが失われ、後の作家の引用やパピルスの切れ端に断片として残るにすぎない。それでも、英雄ではなく一人の人間が、自分の弱さも欲望も隠さずに語る声は、のちのサッポーたちへとつながる抒情詩の始まりとして、いまも読まれている。