できごと

アポロ12号の月面着陸

Apollo 12
AD1969年11月14日 – AD1969年11月24日
期間を持つできごと重要度 2
カナダアメリカ合衆国アメリカ合衆国ブラジルメキシココロンビアベネズエラガイアナスリナムニカラグアホンジュラスキューバグアテマラ仏領ギアナパナマAD1969年11月14日ケープカナベラル
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1969年11月14日の版図を描いています(15勢力)。

概要

人類2度目の月面着陸。落雷を受けながら打ち上がり、無人探査機のそばに狙いどおり降りた。乗員の手首のチェックリストには仲間のいたずらが仕込まれていた。

場所

ケープカナベラル
28.39°N -80.61°E · アメリカ・フロリダ州

本文

1969年11月19日、アポロ12号の月着陸船イントレピッドが、月の嵐の大洋に降り立った。アポロ11号の月面着陸からわずか4か月後、人類2度目の月面着陸である。船長のチャールズ・ピート・コンラッドと月着陸船操縦士のアラン・ビーンが月面を歩き、司令船操縦士のリチャード・ゴードンは司令船ヤンキー・クリッパーで月を回りながら二人の帰りを待った。3人とも海軍の飛行士だった。

アポロ12号は、もともと11号が失敗したときに最初の着陸を試みる予備の役も負っていた。11号が成功したことで打ち上げは2か月延ばされ、その分、地質学の訓練に時間がかけられた。宇宙船とロケットは11号とほぼ同じだったが、月面で休むためのハンモックや、月面で使う初めてのカラーテレビカメラが加わった。

メリット島とケープ・カナベラルの地図。白がKSC、緑がCASS。
メリット島とケープ・カナベラルの地図。白がKSC、緑がCASS。Wikimedia Commons NASA · Public domain

11月14日、フロリダのケネディ宇宙センターから、雨の中でサターンVロケットが打ち上げられた。上昇の途中、ロケットは2度雷に打たれた。司令船の計器の表示が乱れ、電源が落ちたかのような警告が一斉に点いた。地上の管制官の助言で、ビーンが計測装置の電源を予備に切り替えるスイッチを入れると、データが戻った。点検の結果、深刻な故障は見つからず、飛行は続けられた。パラシュートを開く装置が雷で壊れていないかという懸念もあったが、乗員には伝えられなかった。

12号の大きな課題は、狙った場所に正確に降りることだった。11号は予定より数キロ離れた場所に降りていた。12号の目標は、1967年4月に月に降りていた無人探査機サーベイヤー3号のすぐそばだった。降りられなければ面目を失うと心配する声もあったが、コンラッドはサーベイヤーから歩いて行ける距離に着陸船を降ろした。狙った場所に降りられると示したことで、のちの着陸地点を科学的な関心から選べるようになった。

ケープ・カナベラルの衛星写真。1991年8月、NASA撮影
ケープ・カナベラルの衛星写真。1991年8月、NASA撮影Wikimedia Commons NASA · Public domain

月面に降り立ったコンラッドの第一声は、ニールには小さな一歩だったかもしれないが、俺には長い一歩だ、というものだった。コンラッドは初期の宇宙飛行士の中でいちばん背が低かった。この言葉は、アームストロングの言葉はNASAが用意したのではないかと疑ったイタリアの記者オリアーナ・ファラーチと、500ドルを賭けて決めていたものだった。コンラッドは賭け金を受け取れなかったと後に語っている。

二人の手首には、月面での作業の手順を書いた冊子状のチェックリストが付けられていた。そのページをめくると、手順の間に雑誌プレイボーイのモデルの写真が差し込まれていた。写真には月面の地名や作業にかけた冗談の文句が添えられていた。地上の予備の乗員たちが仕込んだいたずらだったとされる。こうして、ヌード写真が月面まで運ばれることになった。

作業は順調ばかりではなかった。ビーンはカラーテレビカメラを据える途中で、うっかりレンズを太陽に向けてしまい、撮像の部品が焼けて中継が途絶えた。それでも二人は2回の船外活動で、原子力電池で動く観測装置を置き、岩石を集め、サーベイヤー3号まで歩いて部品を切り取った。持ち帰った部品は、月面に2年半さらされた機械がどう変わるかを調べるのに使われた。月面に滞在したのは31時間あまりだった。

11月20日、二人は月を離れて司令船と合流し、11月24日、南太平洋のサモアの南東に着水した。着水の衝撃は強く、外れたカメラがビーンの額に当たった。乗員は空母ホーネットに収容され、月の病原菌を持ち込まないための隔離施設に入った。

月をめぐる競争は、1957年にスプートニク1号が打ち上げられ、1961年にはソ連のガガーリンが人として初めて宇宙を飛んで(人が初めて宇宙へ)、ソ連が先を行ったことから本格的に始まった。11号の成功でアメリカはその競争に勝ったが、12号以降は、何を調べに行くのかが問われるようになった。

11号の陰に隠れがちだが、12号は狙った場所に降りられることを示し、本格的な月の科学探査の道を開いた。月面で写真の仕込みに出くわし、冗談の言葉を残したこの飛行は、冷戦の国家事業だった月旅行に人間らしい表情を添えた飛行としても語られている。

動画(1)

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