概要
1978年9月、ソ連のカザフ共和国の首都アルマ・アタに、世界の百三十を超える国の代表が集まり、健康は基本的な人権であると宣言した。大きな病院と専門医の治療より、村の保健員、きれいな水、予防接種、栄養、母と子の保健といった「プライマリ・ヘルス・ケア」を土台にして、西暦2000年までにすべての人に健康を、と掲げた。天然痘の根絶が近づいていた時期の、世界の保健の大きな理想の表明だった。目標は届かなかったが、身近な場所で基本の医療を受けられるようにするという考えは、いまも各国の保健の政策の柱になっている。
場所
43.22°N 76.85°E · カザフスタン
本文
戦後の国際保健は、一つの病を狙い撃ちにして根絶する計画が中心だった。マラリア根絶計画は失敗に終わり、天然痘の根絶は目前に迫っていた(天然痘の根絶宣言)。一方で、貧しい国の多くの人々は、病院にも医師にも手が届かなかった。援助で建てられた首都の大病院は、都市の一部の人しか使えなかった。
中国の「はだしの医者」、つまり短い訓練を受けて村で基本の治療と予防を担う農民の医療の担い手が、注目されていた。WHOの事務局長ハルフダン・マーラーは、病院と専門医中心の医療から、身近な場所の基本の保健へ、重心を移すべきだと唱えた。
1978年9月6日から12日、ソ連のカザフ共和国の首都アルマ・アタで、WHOとユニセフの国際会議が開かれた。134か国の代表が集まり、宣言を採択する。健康は、病気が無いことだけでなく、体と心と社会のよい状態であり、基本的な人権である。国と国のあいだ、国の中の健康の差は受け入れられない。その土台は「プライマリ・ヘルス・ケア」で、健康の教育、食べ物と栄養、安全な水と衛生、母と子の保健と家族計画、予防接種、身近な病気の治療、基本の薬を含む。目標は「西暦2000年までにすべての人に健康を」だった。
冷戦のさなかに、ソ連の都市で採択された理想には、すぐに疑いも向けられた。すべてを一度にやるのは無理だとして、やがて予防接種や経口補水など、効果の測りやすい少数の手段に絞る「選択的」なやり方が主流になる。借金に苦しむ国々は、1980年代に保健の予算を削られた。2000年の目標は届かなかった。それでも、2018年にはカザフスタンで40周年の会議が開かれ、身近な基本の保健をすべての人にという考えが改めて確認された。