概要
第二次世界大戦が終わったとき、ヨーロッパとアジアの焼け跡では、何百万人もの子どもが、食べ物も衣服も薬も無いまま取り残されていた。1946年12月11日、国際連合の総会は、戦争で傷ついた子どもたちに緊急の援助を届けるため、国連国際児童緊急基金、すなわちユニセフを作った。粉ミルクと薬と毛布が送られ、日本でも戦後の学校給食などに、ユニセフから届いた脱脂粉乳が使われた。1953年には常設の機関になり、援助の先は途上国の子どもたちへと移って、予防接種や安全な水、栄養、教育の支えに取り組むようになった。
場所
40.71°N -74.01°E · アメリカ合衆国
本文
第二次世界大戦は、それまでのどの戦争よりも多くの市民を巻き込んだ。戦争が終わったとき、ヨーロッパには、家を失い、親を失い、飢えと病気に苦しむ子どもたちが何百万人もいた。中国や日本、朝鮮でも事情は同じだった。
1946年12月11日、国際連合の総会は、戦争で被害を受けた国々の子どもたちに緊急の援助を届けるための基金を作ることを決めた。国連国際児童緊急基金、英語の頭文字をとってユニセフと呼ばれる。中心になったのは、ポーランド出身の医師ルドヴィク・ライヒマンで、彼は戦後の救済の機関が解散するにあたって、その残った資金を子どものために使うよう訴えた。初代の事務局長には、アメリカのモーリス・ペイトが就いた。
ユニセフは、ヨーロッパの国々に粉ミルクや食料、衣類、薬を送り、結核の予防接種を広めた。日本には1949年から援助が届き、脱脂粉乳が学校給食に使われ(学校給食)、衣服の原料の綿や医薬品も送られた。日本がユニセフから受けた援助は、1964年まで続いた。のちに日本は援助を出す側に回った。
ヨーロッパが立ち直ると、ユニセフの役目は終わるとも考えられた。だが途上国の代表たちは、自分たちの国の子どもたちこそ援助を必要としていると訴えた。1953年、ユニセフは常設の機関となり、名前から「国際」と「緊急」を外したが、ユニセフという略称はそのまま残された。
その後のユニセフは、途上国の子どもたちの命と健康を守ることに力を注いだ。1980年代には、体重を測って栄養の状態を見ること、下痢のときの経口補水療法、母乳で育てること、予防接種の四つを柱にした「子どもの生存革命」を進めた。安全な水と衛生、栄養、教育、紛争や災害の中の子どもの保護にも取り組んでいる。1965年には、ノーベル平和賞を受けた。