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Event / できごと

航空の規制緩和

Airline Deregulation Act
AD1978年10月24日
重要度 3
カナダアメリカ合衆国アメリカ合衆国グリーンランドメキシコニカラグアホンジュラスキューバグアテマラAD1978年10月24日ワシントンD.C.
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1978年10月24日の版図を描いています(9勢力)。

概要

アメリカの国内の航空は、長いあいだ政府の委員会が、どの会社がどの路線を飛べるか、運賃をいくらにするかを決めていた。運賃は高く、空の旅は一部の人のものだった。1978年10月24日、カーター大統領は、路線と運賃の規制をなくす法に署名した。新しい会社が次々に参入して運賃は下がり、飛行機に乗る人は大きく増えた。一方で、パンナムなどの老舗の会社が潰れ、大手は拠点の空港に便を集める形に変わった。同じ流れはヨーロッパやアジアにも広がり、格安航空会社の時代を開いた。

場所

ワシントンD.C.
38.91°N -77.04°E · アメリカ合衆国

本文

1938年から、アメリカの国内の航空は、民間航空委員会という政府の機関の管理のもとにあった。新しい航空会社が路線を開くこと、既存の会社が新しい路線に進出すること、運賃を変えることは、どれも委員会の許しが要った。委員会は会社どうしの競争を抑え、運賃は高く保たれた。会社は運賃で争えないので、食事やサービス、機内の豪華さで競った。飛行機に乗るのは、出張の会社員や裕福な人々だった。

1970年代、経済学者たちは、規制が競争を妨げ、利用者に高い運賃を払わせていると批判した。テキサス州の中だけを飛び、委員会の規制を受けないサウスウエスト航空は、安い運賃で客を集め、規制がなくても空の便が成り立つことを示していた。経済学者アルフレッド・カーンが委員会の委員長に就くと、規制を内側から緩め始めた。

1978年10月24日、カーター大統領は、航空規制緩和法に署名した。路線と運賃の規制は段階的になくされ、1985年には民間航空委員会そのものが廃止された。新しい会社が次々に参入し、運賃は大きく下がった。飛行機は、長距離バスと競う大衆の乗り物になり、国内の航空の利用者は数十年のうちに何倍にも増えた。

競争は激しく、勝者と敗者を生んだ。新しく参入した会社の多くは潰れ、パンナムやイースタン航空のような老舗の会社も1991年に姿を消した。生き残った大手の会社は、拠点の空港に便を集め、そこから各地へ乗り継がせる「ハブ・アンド・スポーク」の形に変わった。運賃は安くなったが、座席は狭くなり、食事は有料になり、働く人々の給料は下がった。

規制の緩和の流れは、世界に広がった。ヨーロッパ連合は1990年代に域内の航空を自由化し、アイルランドのライアンエアーやイギリスのイージージェットなどの格安航空会社が急成長した。日本では、1990年代から運賃と路線の規制が緩められ、2012年には格安航空会社が本格的に飛び始めた。

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