パルメニオン
概要
フィリッポスの右腕で、アレクサンドロスの副司令官。グラニコス、イッソス、ガウガメラで左翼を率いた。慎重で、王に「私がパルメニオンなら、そうする」と言われた。息子が処刑され、自分は70歳でエクバタナで刺された。
所属
マケドニア関わったできごと(1)
パルメニオンの暗殺BC330年 · 殺された本文
パルメニオンはフィロタスの子で、紀元前400年ごろ、マケドニアの貴族の家に生まれた。生まれた土地ははっきりしないが、上マケドニアの出とする説がある。彼の名が歴史に現れるのは、フィリッポス2世が王になってからである。フィリッポスはギリシアの片隅の弱小国だったマケドニアを、長槍の密集歩兵と重装騎兵を組み合わせた軍で強国に作り変えた。パルメニオンはその軍を育てた中心の一人だった。

プルタルコスは、紀元前356年のある日、フィリッポスのもとに三つの知らせが同時に届いたという話を伝えている。パルメニオンがイリュリア人を破った、王の馬がオリュンピアの競技で勝った、そして王子が生まれた。その王子がアレクサンドロス3世である。話としてはできすぎているが、パルメニオンがこの時期すでに独立した軍を任される将軍だったことはうかがえる。フィリッポスは、アテナイは毎年10人も将軍を選ぶが、自分は長年かかってパルメニオン一人しか見つけていない、と言ったとも伝えられる。
パルメニオンは戦場の外でも働いた。紀元前346年にはアテナイとの和平交渉の使節に加わり、紀元前342年にはエウボイア島に兵を送ってマケドニア寄りの政権を支えた。紀元前336年、フィリッポスがペルシア遠征の準備にかかると、パルメニオンは1万ほどの先遣隊を率いて小アジアへ渡った。同じ軍を率いたのは、王の新しい妃の後見人で、パルメニオンの娘婿でもあったアッタロスだった。
その年、フィリッポス2世暗殺が起こった。若いアレクサンドロスにとって、アッタロスは自分の王位を脅かしかねない相手だった。アッタロスは殺され、パルメニオンはそれを止めなかった。娘婿を見捨ててでも新王につくことを選んだのである。古参の将軍の支持があったことで、軍はアレクサンドロスにまとまったとみられている。その見返りに、パルメニオンの息子や一族は軍の要職を占めた。
紀元前334年からのアレクサンドロスの東方遠征で、パルメニオンは副司令官として常に軍の左翼を率いた。王が右翼の騎兵の先頭で突撃し、パルメニオンの左翼が敵の圧力を受け止めて持ちこたえる。これがアレクサンドロスの戦い方の型だった。グラニコス川の戦いでは、川を渡るのは夜明けを待ってからにすべきだと進言したが、王はその日のうちに攻めかかったとアリアノスは書く。イッソスの戦いの後には、ダマスクスに残されたペルシア王の財宝と、王の一族の多くを押さえた。

伝えられる逸話の多くは、慎重な老将と大胆な若い王という対比の形をとる。ダレイオス3世がユーフラテス川より西の領土と娘を差し出して和平を申し入れたとき、パルメニオンは「私がアレクサンドロスなら受け入れる」と言い、王は「私もパルメニオンなら受け入れる」と答えたという。ガウガメラの戦いでは、左翼が押されて危うくなったパルメニオンが王に救援を求め、王はダレイオスの追撃をやめて引き返したと伝えられる。プルタルコスは、このときのパルメニオンは老いて鈍っていたとする見方を紹介している。ただし、こうした逸話の多くはパルメニオンを悪く描いた王の側近たちの記録に拠っていて、そのまま信じることはできない。
紀元前330年、王は東へ進むにあたり、パルメニオンを都エクバタナに残し、運び込まれたペルシアの莫大な財宝と補給路の守りを任せた。70歳前後になっていた。このころまでに、彼は息子たちを次々に失っていた。末の子ヘクトルはエジプトでナイル川に落ちて溺れ、近衛の歩兵を率いた次男ニカノルは東方の行軍中に病死した。
その年の秋、長男で騎兵隊長のフィロタスが、王の暗殺計画を知りながら報告しなかったとして裁かれ、処刑された。息子を殺された父をそのまま生かしておくことはできない、と王は考えたとみられる。王の使者ポリュダマスが早駆けのラクダでエクバタナに着き、パルメニオンが王の手紙を読んでいるところを、クレアンドロス、シタルケス、メニダスらの将校が刺し殺した。兵たちは騒いだが、王の命令だと告げられて静まった(パルメニオンの暗殺)。手を下したクレアンドロスとシタルケスは、6年後、任地での略奪と暴虐を訴えられ、アレクサンドロスに処刑されている。
パルメニオンに謀反の企てがあった証拠は、史料のどこにもない。アリアノスも、フィロタスの罪には疑いの余地があり、王はパルメニオンの影響力を恐れたのだろうと書くにとどめている。フィリッポスの時代から軍を支えてきた最後の大物が消えたことで、遠征軍は名実ともにアレクサンドロス一人のものになった。2年後にはクレイトスの殺害が起こる。王に異を唱えうる古い世代は、こうして一人ずついなくなっていった。