エリザベス1世
概要
無敵艦隊を退け、海洋国家への道を開いた。生涯独身を通し、王朝はここで絶える。
関わったできごと(3)
国王至上法AD1534年 · のちにこの体制を固めるドレークの世界周航AD1580年9月26日 · 女王アルマダの海戦AD1588年 · 当人本文
エリザベス1世は1533年9月7日、ロンドンのテムズ川の下流にあるグリニッジの宮殿で、イングランド王ヘンリー8世と、2番目の妃アン・ブーリンの間に生まれた。ヘンリーは、男子の跡継ぎを産まなかった最初の妃との結婚を無効にするため、ローマ教皇と決別し、自らをイングランドの教会の首長とした。そうまでして結ばれたアン・ブーリンも、女の子しか産まなかった。エリザベスが2歳8か月のとき、母は姦通などの罪を着せられて処刑された。エリザベスは庶子とされ、王位の継承権を奪われた。

それでも、彼女は王女にふさわしい教育を受けた。人文主義の学者たちのもとで、ラテン語、ギリシア語、フランス語、イタリア語を学び、歴史や神学にも通じた。父の死後、弟のエドワード6世の治世には、新教の改革が進んだ。だが弟が若くして死に、1553年に異母姉のメアリ1世が即位すると、国はカトリックに戻された。翌年、新教徒の反乱が起きると、エリザベスは関わりを疑われてロンドン塔に送られた。処刑を覚悟したが、証拠は出ず、2か月後に出されて地方で監視の下に置かれた。
1558年11月、メアリが死に、25歳のエリザベスが即位した。最初の大仕事は宗教だった。翌年、議会は国王を教会の最高統治者とする法と、国じゅうの教会で同じ祈祷書を使わせる法を定めた。教義は新教に近く、儀式にはカトリックの形を残した。両極端を避けたこの国教会の形が、以後のイングランドの教会の基本になった。人の心の中に窓を開けてのぞくつもりはない、という言葉が彼女の姿勢として知られるが、これは側近のフランシス・ベーコンが彼女の方針を表した言葉である。外から見える礼拝の形さえ守れば、内心までは問わない、という意味だった。だが1570年に教皇が彼女を破門し、カトリックの陰謀が相次ぐと、カトリックの司祭たちへの取り締まりは厳しくなった。

議会は繰り返し、早く結婚して跡継ぎを、と彼女に求めた。求婚者には、姉メアリの夫だったスペイン王フェリペ2世や、フランス王家の王子、スウェーデンの王子もいた。国内では、幼なじみの寵臣ロバート・ダドリーとの仲が噂になったが、彼の妻が階段から落ちて死ぬ不審な事件があり、結婚の道は閉ざされた。外国の王族と結婚すればイングランドがその国に引きずられ、国内の貴族と結婚すれば貴族の間の均衡が崩れる。エリザベスは結婚の交渉を外交の手札として何年も引き延ばし、ついに誰とも結婚しなかった。彼女は処女王と呼ばれ、北米の植民地ヴァージニアの名もそこから来ている。
最大の悩みは、スコットランド女王メアリだった。カトリックで、イングランドの王位継承権も持つメアリは、1568年に国を追われてイングランドに逃げ込んだ。エリザベスは彼女を19年にわたって幽閉したが、メアリはカトリックの陰謀の旗印になり続けた。1587年、エリザベスの暗殺計画への関与が明らかになると、エリザベスはためらいながら処刑の命令書に署名した。
メアリの処刑は、スペインとの戦争を決定的にした。新大陸から銀を運ぶスペイン船を、フランシス・ドレークらの船乗りたちが襲って財宝を奪い、エリザベスはそれを黙認するどころか出資していた(ドレークの世界周航)。1588年、フェリペ2世は130隻ほどの大艦隊をイングランドへ送った(アルマダの海戦)。迎え撃つ兵たちの前で、エリザベスは、私はか弱い女の体を持っているが、王の、それもイングランドの王の心と気概を持っている、と演説したと伝えられる。イングランドの艦隊は火船で敵の隊列を崩し、嵐がスペイン艦隊に追い討ちをかけた。生きて帰れたのは半数ほどだった。

彼女の治世の後半には、劇場が次々に建てられ、ウィリアム・シェイクスピアやマーロウの劇が人々を沸かせた。ウォルター・ローリーは北米に植民を試みた。1600年の最後の日、彼女はアジアとの貿易を独占的に行う東インド会社に特許状を与えた。1601年には、貧しい人々を教区ごとに救う救貧法が定められた(エリザベス救貧法)。
その一方で、アイルランドでは、反乱を武力で抑え込み、土地を奪ってイングランドからの入植者に与える征服が進められた。治世の末に起きた大きな反乱の鎮圧では、焦土作戦で多くの人々が飢えに追い込まれた。また、アフリカの人々を捕らえて新大陸へ売る航海を始めたジョン・ホーキンズに、女王は自分の船を貸している。

晩年は、戦費による財政の苦しさや凶作、寵臣エセックス伯の反乱と処刑が重なった。1603年3月、エリザベスはロンドン郊外の宮殿で69歳で死んだ。在位は44年余りだった。跡継ぎを最後まで指名しなかったが、王位はメアリの子であるスコットランド王ジェームズ6世が継ぎ、イングランド王ジェームズ1世となった。テューダー朝はここで絶え、二つの王国は一人の王を戴くことになった。