ウォルター・ローリー
概要
エリザベスの寵臣。ヴァージニアの特許。自分は行かなかった。タバコとジャガイモをイングランドに広めた、と伝える。女王の侍女と密かに結婚して塔へ。ギアナの黄金郷を探した。ジェームズ1世に13年幽閉され、『世界史』を書き、スペインの求めで斬首。「鋭い薬だ」。
関わったできごと(1)
ロアノークの失われた植民地AD1587年 · 特許本文
ウォルター・ローリーは、エリザベス1世の寵臣として宮廷で栄え、北アメリカへの植民を企て、南米に黄金郷を探し、最後は次の王に斬首された人物である。軍人、航海者、植民の事業家、詩人、歴史家と、いくつもの顔を持った。

1552年ごろ、イングランド南西部のデヴォンで、地方の地主の家に生まれた。母の最初の結婚で生まれた異父兄に、北アメリカへの植民を最初に試みた航海者ハンフリー・ギルバートがいる。若くしてフランスに渡り、宗教戦争でプロテスタントのユグノー側について戦った。オックスフォード大学にも籍を置いたが、学位は取っていない。
1580年、アイルランドで反乱の鎮圧に加わった。南西部のスマーウィックで、降伏した教皇派の外国兵数百人が殺されたとき、ローリーはその処刑を行った隊長の一人だった。この働きと、アイルランド政策について女王の重臣たちに直言した弁舌が目にとまり、彼は宮廷に呼ばれた。

宮廷に出たローリーは、たちまち女王のお気に入りになった。背が高く、派手な服を好み、デヴォンの訛りのまま機知に富んだ話をした。女王の通り道のぬかるみに自分のマントを広げて敷いた、という有名な話は、17世紀の著述家が書き残したもので、作り話と見られている。だが、女王が彼に次々と特権と領地を与えたのは事実である。ワインの販売の許可、毛織物の輸出の許可、アイルランドの4万エーカーを超える土地。1585年には騎士に叙され、女王の護衛隊長にもなった。
1584年、ローリーは北アメリカに植民地を開く特許を女王から得た。翌年、彼の費用で送られた船団は、いまのノースカロライナ沖のロアノーク島に入植し、その土地は処女王エリザベスにちなんでヴァージニアと名づけられた。最初の入植者たちは食料に困って翌年引き揚げ、1587年に送られた二度目の入植者は、イングランドとアルマダの海戦の戦いで補給が途絶えるうちに、行方が分からなくなった(ロアノークの失われた植民地)。女王はローリーが宮廷を離れることを許さず、彼自身は一度も北アメリカの土を踏んでいない。

イングランドにタバコとジャガイモを持ち込んだのはローリーだ、という話も広く知られている。だがタバコは彼より前に伝わっていた(タバコの伝播)。ローリーは、ロアノークから戻った者たちが持ち帰ったパイプでの喫煙を宮廷で流行らせた人物だったと言うほうが近い。ジャガイモをアイルランドの自分の領地に植えたという話も、確かな記録はない。
1592年、ローリーが女王の侍女エリザベス・スロックモートンとひそかに結婚し、子までもうけていたことが露見した。女王の許しなく侍女と結婚するのは裏切りに等しかった。二人はロンドン塔に入れられ、ローリーは宮廷から遠ざけられた。

失った寵愛を取り戻そうと、1595年、彼は南米のギアナへ船出した。オリノコ川をさかのぼり、黄金の都マノア、つまりエル・ドラードを探したが、黄金は見つからなかった。帰国後、その土地の豊かさを書き立てた『ギアナの発見』を出版した。翌1596年には、スペインのカディス港の襲撃で戦い、脚に傷を負った。
1603年、女王が死んでスコットランドからジェームズ1世が迎えられると、ローリーの運命は暗転した。新しい王はスペインとの和平を望み、反スペインの急先鋒だったローリーを嫌った。即位の年、王を廃そうとする陰謀に加わった疑いで裁判にかけられ、確かな証拠もないまま死刑を言い渡された。刑の執行は止められたが、彼はロンドン塔に閉じ込められた。それから13年、ローリーは塔の中で化学の実験をし、王太子ヘンリーと親しく交わり、膨大な『世界史』を書いた。天地創造から書き起こし、紀元前2世紀のところで、第1巻だけで終わった。王太子が若くして死に、続ける意味を失ったと言われる。

1616年、ギアナに金鉱を見つけて持ち帰るという条件で、ローリーは塔を出された。スペインとは決して事を構えないことが条件だった。だが1618年、彼の部下たちはオリノコ川のほとりのスペインの町を襲い、その戦いでローリーの長男が戦死した。金は見つからず、隊を率いた部下は自害した。手ぶらで帰国したローリーを、スペイン大使は厳しく処罰するよう求めた。王は、15年前の死刑判決を執行することにした。
1618年10月29日、ロンドンのウェストミンスターで、ローリーは斬首された。差し出された斧の刃に触れて、これは鋭い薬だが、あらゆる病を治す医者だ、と言ったと伝えられる。首をどちらに向けて台に置くかと問われ、心が正しければ頭がどちらを向いていようとかまわない、と答えたとも言われる。妻のベスは夫の首を防腐処理させ、袋に入れて、生涯手元に置いたという。

ローリーは詩人でもあった。友人の劇作家マーロウの恋の詩に、羊飼いの甘い誘いをはねつけるニンフの返事として応えた詩はよく知られている。北アメリカに植民しようとしたイングランド人の試みは、彼の死の前にようやくジェームズタウンの建設として根づいた。ノースカロライナ州の州都は、彼の名を取ってローリーと名づけられている。彼自身が一度も行かなかった土地の、街の名前である。